≪11月29日生まれの音楽家たち≫
寒い日が続きます。
そろそろかなと
ピアノのレッスンの
生徒さん用にシバリンガムを
温めて手の冷たさを
解消して貰ってから
レッスンをしています。
この石は保温力も高いので
長く温かいのが有り難いです。
ただたまに忘れることも
あるのでアシカラズ…
それでは本日分をどうぞ
ドニゼッティ(ガエターノ・ドニゼッティ;Gaetano Donizetti)
1797年11月29日~1848年4月8日(享年50歳)
イタリア;ベルがも
作曲家。オペラ「愛の媚薬」「ポリウト」など
貧しい家庭で育った彼は初期音楽教育を
慈善音楽院で受けました。
そこにはサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の
楽長を務めていたヨハン・ジモン・マイールが
教師として在籍していました。
そのマイールのおかげで
彼はボローニャ音楽院大学に入学。
18歳のときでした。
そして名声を得るのは
1830年初演のオペラ「アンナ・ボレーナ」で。
その後次々と作品を発表、
神経性麻痺が表れる1844年まで作曲を続けます。
が、1848年故郷のベルガモで
その生涯を閉じることになります。
50歳でした。
小林麻美(こばやしあさみ)
1953年11月29日~(現在63歳)
日本;東京
ミュージシャン。本名;田邉稔子(たなべとしこ)
現在は結婚をして引退してしまったのですが、
少し陰のあるような歌手として当時は人気がありました。
高校在学中の1970年にCMデビュー、
歌手としては1972年にデビューしました。
彼女の歌った曲は
松任谷由美や井上陽水の手によるものも多く、
彼らが彼女の歌声を
気に入ったということが窺い知れます。
また女優としても活躍をし、
特に故・松田優作に請われて出演した
「野獣死すべし」は今でも語り草です。
因みに彼女の結婚相手は芸能プロダクション・
田辺エージェンシーの社長。
そのため本名が田邉なのです。
いわゆる「できちゃった婚」なのですが、
出産1ヵ月前までばれずに仕事をしていたとか。
そこは旦那さんである
田邊氏がうまく隠したのでしょう。
ま、ちゃんと幸せに暮らしていけるなら
どんな形でもOKというのが昨今でしょう。
山下昌良(やましたまさよし)
1961年11月29日~(現在55歳)
日本;大阪
ミュージシャン。
LOUDNESSのベーシストです。
LOUDNESSというバンドについては
他でもかなりご紹介していると思います。
1981年に結成されたハードロックバンドで、
途中メンバーは変わりましたが
オリジナルメンバーはヴォーカルの二井原実、
ギターの高崎晃、ベースの山下昌良、
ドラムの故・樋口宗孝。
2000年以降、再度オリジナルメンバーでの復活を遂げ、
現在は地元の大阪で講師などをも務めているようです。
近年では2014年のラウドパークに出演したり
(ラウドネスとしても)、
高崎晃氏と共に「サウンドの秘密に迫る」とした
イベントに出演したりしていました。
昨年2015年は春に発売の「二代目アニメタル」の中の
「創聖のアクエリオン」で高崎氏とのタッグ曲が
「凄過ぎる」と話題になりました。
ラウドネスとしては国内では12月まで
海外は来年夏の公演が決定しているようです。
また復活する音楽雑誌「BUURN!」の表紙を
ラウドネスが飾るようです。
ラウドネス公式ホームページ
尾崎豊(おざきゆたか)
1965年11月29日~1992年4月25日(享年26歳)
日本;東京
ミュージシャン。
おそらく彼に関しては詳しい方もたくさん
いらっしゃると思うので、
簡単なプロフィールのみとします。
NOAというバンドで初ライブを行うのは1981年のこと。
翌年某レコード会社のオーディションで合格します。
デビューは更に次の年、1983年。
1986年に疲れたのか無期限活動休止宣言し
渡米するも、すぐに翌年活動再開。
同じ年覚せい剤取り締まり違反で逮捕され、
1988年釈放。
1990年個人事務所の立ち上げ。
1992年泥酔状態を不審者と思った通行人に通報され、
奥さんが連れ帰りますが自宅で暴れた後、
危篤状態に陥りそのまま死亡。
その死は1987年の事件を起こしたことから
それに全く関係がないというわけではなさそうです。
ただ本人が望んで服用したかどうかは不明、
未だに謎とされています。
彼の曲は好きな方が多いとは思いますが…
バイクは盗んじゃだめでしょ…
(というか盗み自体犯罪です)