≪8月12日生まれの音楽家たち≫
今月末までは音楽祭出場者応募が
少ないので
(応募少数の場合は次回から無期限延期。
今のところ延期する気満々)
ほぼこの記事をも
掲載させていただきます。
音楽ジャンルは問いません。
ジャズ、ロック、民族音楽など
なんでもござれです
(ただし会場の都合で
和太鼓の大はNG)
年齢性別国籍も問いません。
お教室の発表会替わりなどにもどうぞ。
(ワタクシの教室では
それも兼ねています)
詳しくはワタクシのホームページの
音楽のごった煮と称した
「オジヤ音楽祭」のページにて。
ではお待たせしました。
本日分をどうぞ
淡谷のり子(あわやのりこ)
1907年8月12日~1999年9月22日(享年92歳)
日本;青森
歌手。
今では芸人のコロッケが
思い出したように真似する程度で
忘れられかけている歌手でしょう。
日本シャンソン界の先駆者で、
「ブルースの女王」などと大絶賛されていました。
その生涯は大変波乱に
満ちたものでした。
青森の裕福な呉服屋の娘として生まれますが、
青森大火で家は没落、
10代の頃に上京し
東京音楽学校へ通います。
そこでオペラの基礎を学びますが、
貧乏なため1年休学し
裸婦のモデルのバイトをして
生活費を稼ぎました。
(美術の大家と知られている人物もいますので
その絵画を何らかの形で
我々も見ることが出来ます)
そして卒業後はクラシック歌手として
活動を始めますが、
それでは生計が立てられず
流行歌を歌うことになります。
しかし当時低俗とされていた
流行歌を歌ったことで
当時の教師陣から良く思われず、
終いには卒業名簿から
削除されてしまいます。
シャンソン歌手としては
第1号の彼女ですが、
「別れのブルース」が
大ブレイクした当時は日中戦争最中。
もんぺなんかはいて歌っても
誰も喜ばないと禁止されていたパーマをかけ、
シャンソン歌手の戦闘服と呼ぶドレスに身を包み、
死地へ赴く兵士らの
心の拠り所となったのです。
戦後は歌謡界のご意見番のような存在となり、
本当の歌手が少ないというような発言が
物議をかもし出したりもしました。
しかしそんな彼女を慕う歌手も多く、
現在の大御所といわれる歌手らはほぼ彼女と
親交があったのではないでしょうか。
またストレートな物言いから
バラエティ番組に出演することも多く、
ちっとも直らない(直さない?)津軽弁が印象的でした。
湯浅譲二(ゆあさじょうじ)
1929年8月12日~(現在87歳)
日本;福島
作曲家。
「芭蕉の風景」「ピアノ・コンチェルティーノ」
「ホワイト・ノイズののためのイコン」など
幼少時より独学で音楽を学び、
大学も音楽大学ではなく
慶応大学の医学部に通っています。
しかし大学在学中に武満徹らとの親交があり、
「実験工房」に所属していました。
そのジャンルはオーケストラなどの
従来の音楽のみならず、
電子音楽やコンピュータ音楽などにも
幅を広げています。
特にミュージック・コンクレート
(録音技術を使った電子音楽の一種)や
UPIC(ユーピック。クセナキスにより
作られた線画音楽
といっても分かりにくいでしょうが…)などにも
造詣が深いです。
1981年~94年まで
カリフォルニア大学サン・ディエゴ校において名誉教授、
日本大学芸術部教授などを務めております。
(他にも東京音楽大学、桐朋学園大学)
そして今年2016年は合唱曲の楽譜出版記念の
コンサートが開かれるようです。
(本人の指揮などは無い模様)
更に昨年に続いて今年も今月に
秋吉台で行われる
現代音楽セミナー&フェスティバルにおいて
やはり講師などを務める模様。
セミナー、コンサート共に
興味のある方は参加してみては
秋吉台国際芸術村ホームページ
パット(パット・メセニー;Patrick Bruce Metheny)
1954年8月12日~(現在62歳)
アメリカ;リーズ・サミット
ジャズギタリスト。
彼と半生を共にしているギターは
独学で学んだといいます。
その才能を認められ、
18歳の若さでバークリー音楽大学で
講師を務めるなどの他、
1979年から1994年までに
9回のグラミー賞受賞と
偉大なる功績を残しています。
個人的にはスティーブ・ライヒの
「エレクトリック・カウンターポイント」で
彼が演奏していたという印象が強いです。
近年では2012年に結成した
ユニティ・バンドにて活動。
2014年の2月にアルバムも出しています。
今年はアニメ「ジョジョの奇妙な冒険」で
エンディング曲を手掛けたことで
彼らのことを知らない人にも
知られるようになったでしょうか。
そんなこともあってでしょう、
日本へは9月に公演があります。
彼独特のサウンドを楽しみたい方は
是非行ってみてください。
パット・メセニー公式ホームページ【英語】
角松敏生(かどまつとしき)
1960年8月12日~(現在56歳)
日本;東京
ミュージシャン&音楽プロデューサー。
大学在学中の1981年に
シングルとアルバムでデビューをします。
始めはリゾートポップスのような曲調でしたが、
渡米後はヒップホップなどの
ダンスミュージックに移行していきます。
しかし1993年に歌手としての
活動の凍結宣言をします。
音楽シーンへ対しての疑問や
行き詰まりなどが原因とされています。
その間、音楽プロデューサーとして
多忙な日々が続きますが、
1997年にAGHARTA(アガルタ)として
「みんなのうた」で発表した
「WAになっておどろう」がヒット。
翌年の長野冬季オリンピックでは
メインヴォーカルとし
舞台に立つことになります。
それを機に歌手活動凍結を解除し、
現在まで活動を続けています。
毎年ペースで秋には世界遺産で
コンサートを行っています。
今年2016年は平泉。
そして何故か今年は
サンリオ・ピューロランドでも
公演があるようです。
う~ん、何故
詳しくは公式ホームページで確認してください
角松敏生公式ホームページ