横浜開港記念日の前に~横浜に因んだ歌~その2 | いずみ先生のひとりごと

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相模原市中央区東淵野辺(最寄駅;古淵)でピアノと音楽の個人レッスンをしている辻田いずみのピアノや音楽についてのブログです。

赤レンガ倉庫
そういえば前回の余談です。
私の友人はその昔「異人さん」を「良い爺さん」だと思っていたらしいです。

横浜に因んだ曲その2には
青い目の人形」を取り上げます。

まずは歌詞。
             
青い目の人形」作曲;本居長世/作詞;野口雨情
青い目をしたお人形はアメリカ生まれのセルロイド

日本の港へ着いたとき 一杯涙を浮かべてた
「私は言葉が分からない 迷子になったらなんとしょう」

優しい日本の嬢ちゃんよ 仲良く遊んでやっとくれ
仲良く遊んでやっとくれ
             

日米関係が怪しくなってきていた昭和2年、
シドニー・ギューリック宣教師がひな祭りに合わせて
人形を日本の学校へ贈ったというのが発端でした。

そのお返しに寄付を募って日本人形を贈ったそうです。
贈った人形には「ミス○○」と名付けたそうです。

何故これが横浜かというと、「人形の家」というのが山下公園近くにあるからです。
確か青い目の人形も展示場入り口付近にあったかと思います。
1回出来たばかりの頃出掛け、2度と行きたくなくなり(理由は後ほど)、
友人がど~しても行きたいというので嫌々付き合いました。
…おそらく2度と行かないでしょう…
というのも念の籠った人形たちがみんなこっちを見ていて怖い
流れている「イッツ・ア・スモール・ワールド」がホラーにしか聞こえない…
(チャイルド・プレイっぽい)
ショップの新しい人形とのギャップもこれまた
大抵のものは怖くないワタクシですが、
生きている人も含め、人の念は恐ろしいデス。。。
という訳で今回は人形の写真ではなく、
横浜の赤レンガ倉庫の写真にしました

そうそう歌詞では「セルロイド」となっていましたが、
実際にはビスクドールだそうです。
当時の日本に出回っていた人形はほとんどがセルロイドだったため
こうした歌詞が生まれたのでしょう。
セルロイド製の人形は熱に弱く、その後の空襲などでほとんどが失われて行きました。
(となん○○鑑定団で言っていました)