実習終了
こんばんは。
今日で実習がおわりました。
先週は麻酔科、今週は呼吸器内科でした。
あっというまでしたが、とても勉強になりました。
明日は模試があります。
今日は自分の情けなさを振り返ろう。
今日、なんと遅刻してしまいました。最後の日だというのに・・・
医者になってから遅刻しなければいいよ、って指導してもらっている先生に言われました。
なんて情けないのか。ほんとにうっかりしてる自分。情けない。
研修医になってからこんなことをしたら、と考えるとぞっとする。来年の今頃はどこかで研修をやっている。
母校なら先輩や同期は大目に見てくれるかもしれないが、外の大学や病院で一度でもこんなことしたら
完全に信用を失うだろう。仕事を任せてもらえなくなるし、
やっぱり○○大学出身はダメだな、なんて思われかねない。
信用を無くすということは、研修医としては、というより、医者として勉強を続けられなくなってしまうかもしれない、
ということだ。自分のキャリアを潰しかねない・・・
責任のとれない人間にはなりたくない。
自分のダメなところは、「大丈夫だろう」とたかをくくってしまうところだ。
昨日は友人と飲んでいて、どうやら自分で思っている以上に深酒していたようだ。
全然「大丈夫」ではなかったわけだ。お酒を飲むときは本当に気を付けないといかんです・・・。
深く反省します。本当にこれが学生のときでよかったです・・・
さて、実習で感じたことを記録しておきましょう。
今日は担当患者さんに最後のあいさつをして帰ってきましたが、
もしかすると本当の意味で最後のあいさつになってしまうかもしれない・・・
今週担当したMさんは、肺の腺癌で脊椎に転移のある60代男性の方でした。
癌で転移がある、というのは癌の進行度としてstageⅣで、
stageⅣとはつまり、手術で治すことは不可能で、長期生存は望めないということなのです・・・
そのままにすれば数か月、放射線や抗がん剤を使っても何年も長く生きられる人はほとんどいない、
そんな状態です。
Mさんはタバコは一本も吸わない方で、今まで病気なんてしたことがない方でした。
それまで何も症状がなく、仕事中に突然下半身が麻痺してしまい立てなくなり、
救急車で運ばれ、肺癌で脊椎転移があると告げられました。Mさんは
「突然人生が崩れていくようだ。急に立てなくなったあの日からモノクロの映画でも見ているようだ」
と言いました。
それでもMさんは足の機能を少しでも回復させようとリハビリを一生懸命にやっています。
こんなしょうもない学生の僕にも、一生懸命自分の病気やこれまでの生活について話してくれました。
でも今考えると、もっともっと話を聞いてあげたかったなあと思います。
もう会えないかもしれないんだから。
この経験は決して忘れてはならないこと。
Mさんは自分の人生を掛けて、僕にとてつもなく貴重な体験をさせてくれたんだ、
ってことを忘れちゃいけない。
そしてMさんだけじゃなく患者さんはみんな、
自分の体、自分の人生をかけて私たち医療者に勉強させてくれているんだ、ってこと。
それを忘れてはいけない。
多くの人が学ぼうと思っても学べないものを学ばせてもらえる、自分の立場を感謝しなくちゃいけない。
いまこんな遅い時間まで起きてブログを書いていて、はっきり言って明日の模試は散々な結果になると思います。
でも、これから始まる6年生、いや、これからの人生を真剣に取り組んでいきたいです。
自分は今、医学の勉強という貴重な体験をさせてもらっているということ、
会う人会う人誰もが自分に貴重な体験をさせてくれているんだ、
そういうこと、
また、僕のアーティスト・音楽活動というもう一つの側面でいえば、
バンドを組ませてもらえることは、メンバーに貴重な体験をさせてもらっているわけだし、
ライブで演奏するということは、聴いてくれている、観てくれている人たちが
僕らに演奏する意味を、喜びを、感動を、・・・、
つまり、ステージそのものを与えてくれているんだってことを理解しなければいけない。
感謝しなければならない。それを伝えなくちゃいけない。
人生ってのは自分が主導的に生きていくものであるべきだ。
強烈に自分の信じた道を歩むべきだ。
果敢に戦って、切り開いていかなければならない。
地を這い、泳ぎ、穴を掘り、空を舞い、
限界に、無限に挑戦するのだ。
自分自身も倒さなくてはならない。
全くもってそうじゃなければいけないと思う。
だけど、ふと気づく。
それも本当は与えられたものなのだ。
今生きているこの世界は、自分が作ったものではないんだから。
人が生きているのは、それだけで奇跡的なことなんだ。
そう考えれば、全てに感謝したくなるというもの。
今日で実習がおわりました。
先週は麻酔科、今週は呼吸器内科でした。
あっというまでしたが、とても勉強になりました。
明日は模試があります。
今日は自分の情けなさを振り返ろう。
今日、なんと遅刻してしまいました。最後の日だというのに・・・
医者になってから遅刻しなければいいよ、って指導してもらっている先生に言われました。
なんて情けないのか。ほんとにうっかりしてる自分。情けない。
研修医になってからこんなことをしたら、と考えるとぞっとする。来年の今頃はどこかで研修をやっている。
母校なら先輩や同期は大目に見てくれるかもしれないが、外の大学や病院で一度でもこんなことしたら
完全に信用を失うだろう。仕事を任せてもらえなくなるし、
やっぱり○○大学出身はダメだな、なんて思われかねない。
信用を無くすということは、研修医としては、というより、医者として勉強を続けられなくなってしまうかもしれない、
ということだ。自分のキャリアを潰しかねない・・・
責任のとれない人間にはなりたくない。
自分のダメなところは、「大丈夫だろう」とたかをくくってしまうところだ。
昨日は友人と飲んでいて、どうやら自分で思っている以上に深酒していたようだ。
全然「大丈夫」ではなかったわけだ。お酒を飲むときは本当に気を付けないといかんです・・・。
深く反省します。本当にこれが学生のときでよかったです・・・
さて、実習で感じたことを記録しておきましょう。
今日は担当患者さんに最後のあいさつをして帰ってきましたが、
もしかすると本当の意味で最後のあいさつになってしまうかもしれない・・・
今週担当したMさんは、肺の腺癌で脊椎に転移のある60代男性の方でした。
癌で転移がある、というのは癌の進行度としてstageⅣで、
stageⅣとはつまり、手術で治すことは不可能で、長期生存は望めないということなのです・・・
そのままにすれば数か月、放射線や抗がん剤を使っても何年も長く生きられる人はほとんどいない、
そんな状態です。
Mさんはタバコは一本も吸わない方で、今まで病気なんてしたことがない方でした。
それまで何も症状がなく、仕事中に突然下半身が麻痺してしまい立てなくなり、
救急車で運ばれ、肺癌で脊椎転移があると告げられました。Mさんは
「突然人生が崩れていくようだ。急に立てなくなったあの日からモノクロの映画でも見ているようだ」
と言いました。
それでもMさんは足の機能を少しでも回復させようとリハビリを一生懸命にやっています。
こんなしょうもない学生の僕にも、一生懸命自分の病気やこれまでの生活について話してくれました。
でも今考えると、もっともっと話を聞いてあげたかったなあと思います。
もう会えないかもしれないんだから。
この経験は決して忘れてはならないこと。
Mさんは自分の人生を掛けて、僕にとてつもなく貴重な体験をさせてくれたんだ、
ってことを忘れちゃいけない。
そしてMさんだけじゃなく患者さんはみんな、
自分の体、自分の人生をかけて私たち医療者に勉強させてくれているんだ、ってこと。
それを忘れてはいけない。
多くの人が学ぼうと思っても学べないものを学ばせてもらえる、自分の立場を感謝しなくちゃいけない。
いまこんな遅い時間まで起きてブログを書いていて、はっきり言って明日の模試は散々な結果になると思います。
でも、これから始まる6年生、いや、これからの人生を真剣に取り組んでいきたいです。
自分は今、医学の勉強という貴重な体験をさせてもらっているということ、
会う人会う人誰もが自分に貴重な体験をさせてくれているんだ、
そういうこと、
また、僕のアーティスト・音楽活動というもう一つの側面でいえば、
バンドを組ませてもらえることは、メンバーに貴重な体験をさせてもらっているわけだし、
ライブで演奏するということは、聴いてくれている、観てくれている人たちが
僕らに演奏する意味を、喜びを、感動を、・・・、
つまり、ステージそのものを与えてくれているんだってことを理解しなければいけない。
感謝しなければならない。それを伝えなくちゃいけない。
人生ってのは自分が主導的に生きていくものであるべきだ。
強烈に自分の信じた道を歩むべきだ。
果敢に戦って、切り開いていかなければならない。
地を這い、泳ぎ、穴を掘り、空を舞い、
限界に、無限に挑戦するのだ。
自分自身も倒さなくてはならない。
全くもってそうじゃなければいけないと思う。
だけど、ふと気づく。
それも本当は与えられたものなのだ。
今生きているこの世界は、自分が作ったものではないんだから。
人が生きているのは、それだけで奇跡的なことなんだ。
そう考えれば、全てに感謝したくなるというもの。
書くことの喜び・苦しみ
今晩は。
関東東北大震災からもう20日経ちましたね。
皆さんはいかがお過ごしでしょう。
被害に遭った方たち、まだ避難生活の方々、その中に
このブログを読んでくれている方はいらっしゃるだろうか。
震災の後、わたしは一週間はニュースに釘付け状態で、被災地と原発の近況から目が離せませんでした。
今までの人生の中で、こんなにも真剣にニュースを見たことはありませんでした。
ニュースで被災地の名前が出るたびに地図でその場所を調べていました。そうしていると、
今現実に起きていることにとても実感が湧きます。
ところがここ栃木県壬生町では、関東圏の多くと同様、被害はさほどでもなく、
あっという間にほぼ元通りの生活へと戻りつつあります。
人々の意識もだんだんと自分自身の生活上の問題へとシフトしつつある気がします。
東北では多くの人が亡くなり、家を流され、家族や友人に先立たれ
その悲しみに浸る余裕さえない過酷な避難生活をされているというのに、
私たちは普段の生活に戻りつつある。
とても複雑な気分です。しかし
被害に遭った方々を思いやる気持ちがあっても、我々は皆、生活していかなければならないし、
経済を考えると、消費活動を控えることは決していい影響をもたらさない。
その狭間に立たされることになります。
私も日本赤十字社に義援金を募金し、日本医学生協会を通じ支援物資を送らせていただきました。
物資として送れるものが家にあったわけではないので買いに行きましたが、
個人で買える量はとても少ないわけで、避難している人が何万人もいると思うと、とても無力感を感じました。
今週から大学のカリキュラムとして、発展的臨床実習が始まり忙しくなったため、
なかなか今までのようにニュースを見ることが出来なくなってきました。
それでも時たまテレビで被災地の様子を見ては、身の引き締まる思いがします。
ところで三月といえば卒業の季節かと思います。そんなときにこの災害でした。
被災地では学校自体が被害を受けたところも多いようですね。
私の大学にもかなりの数の東北出身者がいて、特に今年の卒業生にはたくさんいます。
つい先日、女子寮で引っ越しをしている岩手県出身の卒業生がいたので声をかけてみたところ
研修は岩手でやるということでした。
東北地方はただでさえ医療過疎が進んでいるのに、この震災で沿岸部の多くの病院が被害を受けているため
残った病院の医療現場は半端ではないの負担がかかっていると思います。
そんな中研修をすることになった彼女は、
「早く成長して、役に立つようになりたい」
と言っていました。そして東京から夜行バスに乗って岩手に旅立っていきました。
がんばれ!
私も、必ずや人・社会の役に立つ人間になりたい。
関東東北大震災からもう20日経ちましたね。
皆さんはいかがお過ごしでしょう。
被害に遭った方たち、まだ避難生活の方々、その中に
このブログを読んでくれている方はいらっしゃるだろうか。
震災の後、わたしは一週間はニュースに釘付け状態で、被災地と原発の近況から目が離せませんでした。
今までの人生の中で、こんなにも真剣にニュースを見たことはありませんでした。
ニュースで被災地の名前が出るたびに地図でその場所を調べていました。そうしていると、
今現実に起きていることにとても実感が湧きます。
ところがここ栃木県壬生町では、関東圏の多くと同様、被害はさほどでもなく、
あっという間にほぼ元通りの生活へと戻りつつあります。
人々の意識もだんだんと自分自身の生活上の問題へとシフトしつつある気がします。
東北では多くの人が亡くなり、家を流され、家族や友人に先立たれ
その悲しみに浸る余裕さえない過酷な避難生活をされているというのに、
私たちは普段の生活に戻りつつある。
とても複雑な気分です。しかし
被害に遭った方々を思いやる気持ちがあっても、我々は皆、生活していかなければならないし、
経済を考えると、消費活動を控えることは決していい影響をもたらさない。
その狭間に立たされることになります。
私も日本赤十字社に義援金を募金し、日本医学生協会を通じ支援物資を送らせていただきました。
物資として送れるものが家にあったわけではないので買いに行きましたが、
個人で買える量はとても少ないわけで、避難している人が何万人もいると思うと、とても無力感を感じました。
今週から大学のカリキュラムとして、発展的臨床実習が始まり忙しくなったため、
なかなか今までのようにニュースを見ることが出来なくなってきました。
それでも時たまテレビで被災地の様子を見ては、身の引き締まる思いがします。
ところで三月といえば卒業の季節かと思います。そんなときにこの災害でした。
被災地では学校自体が被害を受けたところも多いようですね。
私の大学にもかなりの数の東北出身者がいて、特に今年の卒業生にはたくさんいます。
つい先日、女子寮で引っ越しをしている岩手県出身の卒業生がいたので声をかけてみたところ
研修は岩手でやるということでした。
東北地方はただでさえ医療過疎が進んでいるのに、この震災で沿岸部の多くの病院が被害を受けているため
残った病院の医療現場は半端ではないの負担がかかっていると思います。
そんな中研修をすることになった彼女は、
「早く成長して、役に立つようになりたい」
と言っていました。そして東京から夜行バスに乗って岩手に旅立っていきました。
がんばれ!
私も、必ずや人・社会の役に立つ人間になりたい。
地震・津波
こんばんは、みなさんご無事でしょうか。
被害に遭われた方々を思い、胸が痛くなります。
涙をこらえるのも辛いです。
なんということでしょうか。日本が大変なことになってしまいました。
この始めたばかりのブログ・・・前の更新をしているとき、つい数日前のことですが、こんな惨劇になるなんて
想像もできませんでした。
ブログを始めた当初、
今まで不真面目にやってきた医学生である私が、あと一年で医者になっていく、その姿を記録して行こう、
と、このような考えで始めたわけです。
そしていま、このブログでまさか、地震観測史上最大の地震による日本の惨劇について書くことになるとは、
全くもって驚きで、
当初考えていたブログの意味合いが全く異なることになりました。
このブログは、私が医者になっていく姿とともに、
この地震・津波の大きな被害から日本がどのように復興していくのかを記録して行く、
そんなブログになると思います。
しかし、2011年3月11日の東北を中心とした被災から、まだ4日間で、
とてもこの4日間、こまめに更新するような状況ではありませんでした。
今日まで、小さくなってきているとはいえ、まだ余震も続いており、まだマグニチュード7以上の地震が起きる可能性が70パーセントある、という気象庁の発表があったので、非常持ち出し袋を急いで用意したり、
また計画停電に備えたり、食糧など必要なものを買い集めたり、
この数日間は私も身も心も休まらずブログ更新の体力は残っていませんでした。
私は、今栃木県にいて、大学のすぐ近くのマンションに住んでいます。
地震があったとき私は大学の図書館の一階にいました。震度は6強でした。
今まで経験したことない、長く続く、そして強い揺れでした。
一階では本が各通路に数冊から数十冊落ちていましたが、二階は棚のビデオがほぼすべて落ち、
三階は各通路数百冊もある本が散乱し床を埋め尽くすような状態で、天井が一部落ち、水道管から破水している状態だったようです。今日改めて大学に行ってみると所々窓ガラスが段ボールで覆われていました。
住んでいるマンションの自室ではコップが一つ割れていただけでした。
実は今週はマンションの工事が地震前より予定されていて、予定通り行うことを今日オーナーから告げられたので、
さすがに今この非常時に初めて欲しくない、と伝えました。
それだけ栃木では、そこまで酷い被害は起きていないということではあると思いますが・・・。
ニュースで被災地の様子や様々な映像を見ていると、本当に・・・、まさに、自分の目が信じられないおもいです。
しかし、現実なわけです・・・
ニュースで流される数々の被災地の地名が、自分でよく認識していないものが多かったので、
昨日地図帳を買いました。地図で地名を確認しながらニュースの映像と見比べていると、
「ここでこんなことが起きている・・・」
と実感が深まります。恥ずかしいことですが、こうでもしないと、なかなか、住んでいる地域の普段と大差ない姿を見ていると、現実として感じられなくなってしまいます。
大学前の道路が丁度南北に真っすぐ伸びているので、北の方に続く道の先を眺めては
「この先の福島、宮城、岩手、青森、北海道で多くの人が悲劇に遭っている・・・」
と考え、自分に何か出来ないか、絶対何か力になりたいと思っています。
本当にこの数日間、みなさんそうでしょうが、信じられない思いです。
まだまだ書きたいことが書ききれないほどあるのですが、かなり疲労感がたまっているので全て書ききることが出来なくて残念です・・・
明日に備えます。
何とか日本が一体となって乗り越えていきたいですね。
みなさんお気をつけて。
被害に遭われた方々を思い、胸が痛くなります。
涙をこらえるのも辛いです。
なんということでしょうか。日本が大変なことになってしまいました。
この始めたばかりのブログ・・・前の更新をしているとき、つい数日前のことですが、こんな惨劇になるなんて
想像もできませんでした。
ブログを始めた当初、
今まで不真面目にやってきた医学生である私が、あと一年で医者になっていく、その姿を記録して行こう、
と、このような考えで始めたわけです。
そしていま、このブログでまさか、地震観測史上最大の地震による日本の惨劇について書くことになるとは、
全くもって驚きで、
当初考えていたブログの意味合いが全く異なることになりました。
このブログは、私が医者になっていく姿とともに、
この地震・津波の大きな被害から日本がどのように復興していくのかを記録して行く、
そんなブログになると思います。
しかし、2011年3月11日の東北を中心とした被災から、まだ4日間で、
とてもこの4日間、こまめに更新するような状況ではありませんでした。
今日まで、小さくなってきているとはいえ、まだ余震も続いており、まだマグニチュード7以上の地震が起きる可能性が70パーセントある、という気象庁の発表があったので、非常持ち出し袋を急いで用意したり、
また計画停電に備えたり、食糧など必要なものを買い集めたり、
この数日間は私も身も心も休まらずブログ更新の体力は残っていませんでした。
私は、今栃木県にいて、大学のすぐ近くのマンションに住んでいます。
地震があったとき私は大学の図書館の一階にいました。震度は6強でした。
今まで経験したことない、長く続く、そして強い揺れでした。
一階では本が各通路に数冊から数十冊落ちていましたが、二階は棚のビデオがほぼすべて落ち、
三階は各通路数百冊もある本が散乱し床を埋め尽くすような状態で、天井が一部落ち、水道管から破水している状態だったようです。今日改めて大学に行ってみると所々窓ガラスが段ボールで覆われていました。
住んでいるマンションの自室ではコップが一つ割れていただけでした。
実は今週はマンションの工事が地震前より予定されていて、予定通り行うことを今日オーナーから告げられたので、
さすがに今この非常時に初めて欲しくない、と伝えました。
それだけ栃木では、そこまで酷い被害は起きていないということではあると思いますが・・・。
ニュースで被災地の様子や様々な映像を見ていると、本当に・・・、まさに、自分の目が信じられないおもいです。
しかし、現実なわけです・・・
ニュースで流される数々の被災地の地名が、自分でよく認識していないものが多かったので、
昨日地図帳を買いました。地図で地名を確認しながらニュースの映像と見比べていると、
「ここでこんなことが起きている・・・」
と実感が深まります。恥ずかしいことですが、こうでもしないと、なかなか、住んでいる地域の普段と大差ない姿を見ていると、現実として感じられなくなってしまいます。
大学前の道路が丁度南北に真っすぐ伸びているので、北の方に続く道の先を眺めては
「この先の福島、宮城、岩手、青森、北海道で多くの人が悲劇に遭っている・・・」
と考え、自分に何か出来ないか、絶対何か力になりたいと思っています。
本当にこの数日間、みなさんそうでしょうが、信じられない思いです。
まだまだ書きたいことが書ききれないほどあるのですが、かなり疲労感がたまっているので全て書ききることが出来なくて残念です・・・
明日に備えます。
何とか日本が一体となって乗り越えていきたいですね。
みなさんお気をつけて。