今年もまた会社に採用試験の季節がやってくる。
若手の管理職として、一次面接や二次面接にたびたび出るのだが、
なぜかここ2-3年は緊張の度合いが異常である。
緊張といっても学生が、ではなく、自分の緊張度合いである。
前回はなんと、面接してる途中でお手洗いに立ってしまった(涙)
泣きそうな顔で会議室を中座する僕を見て、よっぽど学生のほうがリラックスしたに違いない。
なぜそこまで緊張するのだろう・・・
自問自答が面接後に始まる。
そして自分なりの答えは「ひとの一生を左右する場面に自分がいるから」。
僕は僕自身のつらい就職活動を,
無意識のうちに振り返っているのではないか、と。
僕が大学を出たのは、あの狂乱の時代が一夜にして吹き飛んだあと、
日本経済全体が瀕死の瀬戸際に追い込まれた直後だった。
失われた10年間と呼ばれた、あの時代が始まったのだ。
経済の冷え込みは即座に新規雇用の抑制につながり、
慶応の経済学部の連中の中にさえ、その年の就職を諦める奴がいたほどである。
勿論、僕なんかは小規模大学のそのまた文学部。
しかも英文科ならまだいいが、仏文科ときたもんだ。
フランス語なんてあの当時に需要があるわけがない。
だいたいマラルメやランボー、サガンにサルトルなんかを耽読してた奴が、
いきなり資本主義原理のまっただなかに放り出されて、いったい何が出来る。
そして、いまでも鮮明に覚えている。
それはある程度名の知れた音響機器メーカーの面接で投げかけられた一言だった。
「君、文学なんてものが、一体この世の中の何に役だつんだね?」
この言葉は僕の学生生活、いや、それまでの自意識そのものの全否定だった。
文学を信奉する人間に対する、経済社会からの残酷なまでに冷徹な視線。
そして言葉の力は芸術にまで成り得ると信じきっていた自分の、
見事なまでの敗北が露呈された瞬間だった。
半泣きになりながら帰りの地下鉄に乗っていたのを、今でも忘れない。
そんな経験をしてきたからこそ、僕は学生と合間見えるときには、
真剣にその人の言葉をききたいと思うのだ。
何をしてきて、何を感じたのか。
そこからどういう信条が生まれて、
それをどうやって持ち続けようとしているのか。
すなわち、上っ面だけの志望動機や自己アピールや、
そんじょそこらの雑誌に踊っているような下等な言葉の羅列ではなく、
本当にふとした瞬間に垣間見えるその人自身の「本当の言葉」を聞こうと思うのだ。
そこまでしなければ、その人の一生が左右されるこの場において、そうしなければ失礼ではないか。
日本に無数にある企業の中で、確たる理由に基づき、わが会社に興味を持ってくれたこと。
そしてそれのみならず、共に働いてみようと思い立ったその勇気は、何にもまして尊敬に値する。
そんな真剣な人たちに向かって、「君は間違っている」などと言い放つことは、絶対にあってはならない。
今年もまた、心の奥底についている傷がうずく季節がやってくる。