先日、賞与の支払いが終わりホッとしています。

 

賞与計算は、毎月定額の給与と違い、いくら貰えるかを社員がどう思っているのかが予測できないのがすごくストレスになります。

当医院は、スタッフ同士でも評価してもらい、患者様からの評価や諸々の実績なども加味するため、同期であってもかなりの差が出る事もあります。

 

今は運動会でも順位をつけないとか、タイムの近いメンバーで固めて走らせるとか言われて、競争のマイナスの部分にフォーカスするケースがありますが、競争にもメリットはあると思います。

 

人が人を評価していくことは難しい面もあります。

社会主義的に、一律同じ金額で支給する方がこちらのストレスは少ないですが、スタッフのモチベーションの点から今後も今の方式を継続していくと思います。

スタッフ間で競争することで、スタッフレベルも上がって患者様利益にもつながると信じています。

 

そもそも、競争のメリットとデメリットを考えた時に、「競争では勝者が優越感を感じて、敗者が劣等感を感じる」という点に問題があるような気がします。

勝者が敗者を見下したり、同じ職場においてスタッフ間に優劣があるということが問題だとしたら…………

 

優越感と言うのは麻薬のような効果があって、人間は優越感を感じたい動物だと思います。

それは人間の本能であって変えることはできないので、私は、優越感を感じること自体が問題だとは思いません。

優越感を感じた後に、その感情に溺れることなく、周りから評価されたことに感謝して今後も更に精進していけばいいのだと思います。

 

一方、高い評価を得れなくて劣等感に近い感情を感じた人は、劣等感を感じて自分には価値がないと思うのではなく、それをばねにして頑張るエネルギーにしていけばいいのではないでしょうか?

人間は、成功した時よりも失敗した時の方がより成長するものです。

 

優越感に浸って天狗になっていたり、劣等感に浸って落ち込み続けていてもどちらも、未来は開けません。

目の前の出来事1つ1つをどう受け入れていくかの積み重ねで、人生は大きく違ってくるのだと思います。

 

私の好きな言葉に「事実は1つ。解釈は2つ。」があります。

同じ事実を前向きに受け止めるのか後ろ向きにとらえるかは、その人の受け止め方次第なのです。

未来を明るくしていきたいのであれば、感情に流されないで前向きに受け止める方法を身に着けていくしかないのです。

 

「事実は1つ。解釈は2つ。」

 

自分の解釈は、明るい未来に向かっているのかどうなのかを常に関していかなくてはいけないと思います。

 

 

以前に薬剤師の人材紹介の方とお話をする機会があり、薬剤師が不足しているので、薬剤師の世界では、「能力以上に高い評価を得ている場合も少なくない」ということを言われていました。

薬剤師が足りない以上、どんな人であっても勤務してもらうだけでありがたい、というスタンスの薬局も少なくないらしいのです。

 

今、歯科の世界は、薬剤師ほどではないにしろ、同様にかなりの求人難と言われています。

歯科医師、歯科衛生士とも求人しても応募がない医院が多いと言われています。

「応募がない→クリニックも応募者を選べない→勤務してもらえるだけでありがたい→厳しくして辞められると困る→きちんと注意できないからレベルの低い社員が育つ」という悪循環に陥っているクリニックをたくさん目にします。

幸い、当クリニックは上の人がしっかりしているので、こういう流れに巻き込まれていませんが、常に明日は我が身、と危機感を持っています。

 

人間には「楽をしたい」「自分が一番かわいい」「嫌なことは避けたい」などの本能があります。

仕事とは、これらの本能に打ち勝っていかなければ、お客様に満足してもらうことはできません。

それなのに、社員に注意もできなくて言いなりになっていたのでは、野放しの集団になってしまいます。

 

人間なんて、理性よりも感情が優先して、安易な安楽を求めてしまうと、ただ給料をもらうためだけに仕事をしていくことになってしまいます。

今の若者を見ていると、確かに楽をしたい気持ちもありますが、その一方で熱くなりたい気持ちもあるように思います。

 

現代は物が溢れている状況で、「本当の幸せが精神的な充実にあるのではないか?」と気づき始めている人も少なくない様にも感じます。

これからは、スピリチュアルの時代だと言っていた人がいますが、若者の心を動かせることが出来る職場にしかいい人材は来ないような気がします。

 

「類は友を呼ぶ」と言われていますが、若者が熱くなり、充実感を実感できる職場にしていくことが、求人難を乗り切る唯一の方法のような気がします。

 

求人対策は、最終的にはノウハウではなく、トップの情熱なのだと思います。

 

 

人は、魂を成長させていくために輪廻転生を繰り返して、何度もこの世に生を受けているという教えがあり、その中で

「目の前に起こっている現実は、生まれてくる前に自分自身がシナリオを描いて決めてきたストーリーである」と言われています。

目の前の問題は、自分の魂を成長させていくための人生の問題集なのです。

 

学生時代に数学の力をつけようと思えば、数学の問題集を解いていきます。

簡単な問題ばかりを解いていても実力はつきません。

難しすぎる問題ではできないと思って諦めてしまいます。

 

人生においては、「その人に解決できる問題しか起きないようになっている」と信じれるか信じれないかで成長の速度が違ってくるのではないかと感じます。

「必ずこの問題は解ける」と思って向き合うのと、「たぶん解けないだろう」と思いながらその問題と向き合うのとでは、出てくる知恵が違ってきます。

「解ける」と信じればどうやって解けるかに知恵が向かいますが、「解けない」と思えば解けない言い訳を考えるようになってきます。

 

そうはいっても「必ず解ける」と思うのか「解けない気がする」と思うのかは、それまでの成功体験の違いのような気がします。

解けないまでも「解ける」と信じて向き合うことを繰り返していれば、いつかは解けるようになってきます。

すぐに「解けない!!」と諦める習慣がついてしまうと、もう少し頑張れば解ける問題も、「今回も解けなかった」という悪循環が習慣になってしまいます。

 

数学の問題も人生の問題も簡単にあきらめていたのでは、明日につながらないでしょう。

「解けないかも??」という不安が湧き上がってきたときに、この問題は自分が生まれる前に自分で設定した問題やシナリオだと信じることで勇気が湧いてくるのではないでしょうか?

「この問題は自分には解けない」とギブアップするのは、解けると思ってその問題を出した自分を否定することにつながります。

 

その問題を出したのが自分なのか神様なのかは分かりませんが、いずれにしてもその問題はあなたを困らせるために起きていると受け取るのか、愛をもって貴方を成長させてくれるために出現したと受け取るかで、向き合い方が違ってくるような気がします。

 

魂を成長させるために輪廻転生があるとすれば、今世では「あなたはどのレベルの問題集まで解くことができましたか?」と言うことを人生から問われているような気がします。

 

 

子供に付き合って「まんが図書館」に行ったら、夜回り先生の本がマンガになっていたので子供に便乗して借りてしまいました。(笑)

水谷先生の本は、単行本では何冊か読んだことがあったので復習のつもりで借りたのですが、漫画でとても読みやすいし、水谷先生について、知らないこともたくさんあったのですごくいい本でした。

今は本離れも進んでいて、漫画になっている単行本も多いですが、気軽に読めるという点では、これからもマンガの需要は増えていくのではないかと思いました。

 

さて、漫画の内容ですが、自分の人生をかけて夜の子供たちと向き合われている水谷先生には尊敬の念しか思いつきません。

あそこまで水谷先生を駆り立てる源泉は、何なのかということを考えると「使命感」「責任感」という言葉で軽々しく表現するのもはばかられますが、とにかくマザーテレサ並みの何かが彼の心を突き動かしているとしか思えません。

 

「子供を信じるのが先生の仕事」「グレたくてグレる子供は一人もいない」「他人のために動けば人生が変わる」など、水谷先生の教育観が伝わってくるマンガでした。

 

やりがいと大変さは比例しますが、水谷先生の人生って普通の人の何倍も濃厚な人生なのだろうと思いました。

 

人は、ついつい「安気に流れる」生き方をしがちですが、水谷先生の生き方を目の当たりにすると、人は「何のために生きていくべきなのか」を真剣に考えさせられます。

 

久しぶりに真剣に「生きる意味」を考えさえられました。

 

「乗り越えれる試練しかその人の前には現れない」と言われていますが、「乗り越えれる」と信じることが出来れば、出来る方法を必死になって考えますが、「できないかも……」と思った瞬間に、逃げ道や言い訳を考えてしまうのだと思います。

 

「できる!!」と考えるのと「できないかも…」と考えるかの境界線は、その出来事の先にどういう「意味と価値」を見いだしているか、そのことに対する「執着の差」の違いのような気がします。

 

快楽に生きれば、出来ない理由や言い訳を考えますが、「やるしかない状況」では、できない理由や言い訳を考えるだけエネルギーが発揮できなくなってしまいます。

「やるしかない状況」=「執着の差」が成功と失敗の分かれ目になるような気がします。

 

現代の日本のように恵まれた環境では、何かに執着することも減ってきています。

今の日本では、何か形のある「物」に満たされないからその「物」に執着するということは減ってきていますが、心の虚無感は昔以上に感じている人が多いように思います。

 

若い人と接していても、物への執着は減ってきても「心が満たされることへの執着」は年々増してきているような気がしています。

 

「心が満たされることへの執着」を満たすためには「誰かの役に立つ」「誰かに喜んでもらう」ということを栄養にしていかなければなりません。

この「誰かの役に立つ」「誰かに喜んでもらう」ということを満たしてくれるのが仕事の「意味と価値」のような気がします。

 

日本が貧しい時代には「食べていくため」「生活のため」「お金のため」に仕事をしていたと思います。

しかし、豊かになった時代には「誰かの役に立つ」「誰かに喜んでもらう」を追求している会社しか生き残っていけない時代になっているような気もします。

 

私は「人は魂を成長させるためにこの世に生まれてきている」ということを信じていますが、魂を成長させるためには、試練は避けるものではなくて、むしろ歓迎しなければならないものなのかもしれません。