50年近く生きてきて感じることは、人間は「足りないから不平不満を言う」のではなく、「満たされているから不平不満を言うようになってくる」のだということです。



日本は、戦後何もない状態から、奇跡の復興を遂げてきましたが、何もない状態で不平不満を言っていたら,それだけで一日が終わってしまいます(笑)

だから、不平不満に使うエネルギーを浪費しないで、不平不満を言わないで未来を見据えて頑張ってきたのだと思います。


一方、多くのことで満たされている現代では、少しのミスや過ちを大げさに取り上げて、攻撃して来たり、問題にしてきます。

十分満たされているのに、「もっとこうしろ、ああしろ」「あそこが足りない、ここがダメだ」とないところにフォーカスするのだと思います。



経営で言われることに、「苦労はともにできるが、利益を山分けすることは難しい」というのがあります。

お笑い芸人や歌手のグループで、売れるまでは協力し合って頑張ったのに、売れてから仲たがいして、グループを解散することをよく目にします。

売れるまでは、不平不満を言って足の引っ張り合いをするよりも、協力して、一日も早く今の現状から抜け出したいと考えますが、売れた後では、自分の貢献度の方が上だとか、他人の欠点ばかりが目につき始めるのが人間なんだと思います。

満たされていない時には分け合えることができたのに、満たされてくると奪い合うようになってくるのが人間の本質なのかもしれません。


不便な環境で育った人間は、不便が当たり前の基準になりますが、恵まれた環境で育った人間は、すべてにおいて整っていることが基準であって、30点の環境を普通と思うのか、80点の環境を普通と思うのかで、「普通」と言う意味合いが天と地ほどの違いが生じます。


私の親は商売をしていたので、忙しくてあまり構ってもらえませんでした。

子供の時には、もっと構ってもらえていたら、もっと色んな知識などが身についていたのに、と思った時期もありましたが、今では、過度に構ってもらえないから、自分なりにいろんなことを工夫するようになったり、自分のことは自分でできるようになり自立できたと思っています。

十分に満たされていなかったから、成長できたように思います。今では、もっと苦労しておきたかったと思うぐらいです(笑)


今の時代、子供に対しても手をかけることが当たり前のようになっています。

娘の学校の校長先生が「子供に手をかけるのは簡単で、子供の力を信じて手を出さないことがこれからは親として特に大事になってくる」ということを言われていました。

昔のように生きていくのに必死の時代ではなく、親の方にも余裕がある分、子供にも過度に手をかけることになり、子供の自立を妨げて弱い子供が増えていっているような気がします。

親のレベルであれば、子供の代わりにいろいろとしてあげることは簡単なことです。

親としても気持ちがいいし、その場では、子供もありがたがるので一見いいことをしてあげているような気がします。

しかし、子供の自立を考えた時に、手をかけることが逆効果になってしまうと思います。


教育にはティーチィングとコーチィングがありますが、教えることは簡単ですが、気づかせることは簡単ではありません。

教えることで、親や教師も自己満足してしまいますが、教育で一番大切なことは気づかせることだと思います。

「今後は子供の教育をする前に親の教育をしていかなければいけない」ということをよく耳にしますが、恵まれた時代だからこそ、親は一歩我慢して見守っていくことがより必要になってきているのだと思います。


他人に何かをしてあげる気持ちは大切です。

しかし、人間は慣れてしまう生き物です。

一度手を出して手伝ってあげると、1回目は感謝しても、2回目、3回目では、手伝ってくれるのが当たり前で、手伝わないと不満に思ってしまいます。

大人でもそういう気持ちがあるのが人間なので、子供ではなおさらでしょう。

ここまでは手助けするが、ここからは自分でしなさいという基準を決めておかなければ、どうしても甘やかしてしまったり、がみがみ言う親が量産されてくることを危惧しています。



感謝というのは、左脳で考えるものではなく、右脳で感じるものです。


人は満たされた環境では感謝のできない人間になってしまうのです。


お腹がいっぱいの時には、どんなおいしいものを食べても美味しいと感じることはできません。

逆にお腹がすいていれば、どんなものでも美味しく感じます。


満たされている人間に、もっと何かをしてあげても感謝の気持ちは芽生えません。


人が感謝できるのは、その人が自分の力で精いっぱいに頑張っている時に、ちょっとした気遣いや思いやりに感謝の気持ちが芽生えるものなんだと思います。


だからといって、便利で恵まれた時代に逆行した生き方をしていくわけにはいきません。

恵まれた時代に生きていきながら、感謝の気持ちを忘れないためには、自ら、高い目標を掲げたり、困難を歓迎する生き方をしていかなければならないと思います。


食べ物のない場所で痩せることは簡単ですが、食べ物があふれている環境でダイエットすることは大変なのと同じで、恵まれた時代で、人として正しく生きていくためには、自分で自分を追い込んでいかなくてはいけない時代なんだと感じます。


そのヒントが、利己から利他へ、世の為人の為、なのではないかとかと感じています。


人間は「足りないから不平不満を言う」のではなく、「満たされているから不平不満を言うようになってくる」のだということを意識して、子供や社員に対して、手をかけすぎるデメリットを意識して厳しく接していきたいものです。

「三つ子の魂百まで」「かわいい子には旅をさせろ」「若い時の苦労は買ってでもしろ」とも言いますが、若い時に「普通」「当たり前」のレベルを下げてあげることが、親や上司の仕事の1つでもあるような気がします。


そして自分自身、日本という恵まれた環境に生まれたことを感謝しながら、仕事や日常生活においては、意識的には満たされた環境で生きるのではなく、質素で謙虚な生き方を好み、常に高い目標を掲げて、必死に生きていくことで、小さなことに感謝、感激、感動できるのだと意識して生きたいものです。