TBSの「金スマ」で曽野綾子さんの特集をしていたのを観ました。



私は彼女の本が好きですし、彼女の考え方にすごく共感しています。

特に、「全てのことは自己責任」という考え方が大好きです。



人間は、何かあるとすぐに他人のせいにしたり、不平不満、グチ、泣き言を言ってしまう弱い生き物だからこそ、考え方の根柢の部分では「すべてのことは自己責任」と考えながら出来事を受け止めて、生きていくことが大切なのだと勧めていらっしゃるように感じます。



不平不満、グチ、泣き言を言っていれば、自分は変わらなくていいので、その瞬間は楽ですが、何も成長がありません。



「他人と過去は変えられない」と言われますが、「悪いのは他人、自分は悪くない」と考えた時点で、その人の思考はストップしてしまいます。

考え方の根柢に「すべてのことは自己責任」と考えて生きてい行けば、不平不満、グチ泣き言を言う頻度も減ってくるのが人間なんだと思います。



彼女の「人間なんて弱くて自分勝手で、卑怯なのが普通」であるけど、それを意識して生きていくことで、「自分は立派で、何も間違っていない」と自信満々に生きていく人よりも謙虚で、人として正しい生き方ができると考えられているのではないかと思います。



ソクラテスは「無知の知」と言って「自分が何も知らないことを自覚する」大切さを説かれましたが、人間は未完成で自分勝手だからこそ、人間の弱さ脆さ汚さを日々自覚することで、逆に強く、正しい生き方に近づけるのではないかと感じます。



「自分は正しい、間違っていない」と信じている人には、どんな助言やヒントも受け入れられないでしょう。

自分は「未熟だ、まだまだ知らないことだらけだ」と思えるからこそ、他人の考えに謙虚に耳を傾けられるのだと思います。




自己否定と自己肯定感、人間否定と人間を信じることは真逆のように感じますが、これらは突き詰めていけば、同じところにたどり着いている気がします。

最悪を受け入れる覚悟が、理想の自分に近づく努力を後押ししてくれる気がします。



すごく微妙なバランスですが、この微妙な違いは本を読んでも身につかないのではないかと思います。

必死に生きて、目いっぱい悩み、自分の頭で考えていくことでしか伝わらないのだと思います。



本で理解できることと経験でしか理解できない大きな溝があるように感じます。



私が理解できていることは、曽野綾子さんの言いたいことの何十分の一のわずかなもののような気がしています。

曽野綾子さんの伝えたいことが理解できるためには、彼女が苦労したり、悩んだり考えたりした苦悩の日々を自分でも同じレベルの体験をしていくことしかないような気がします。 



この歳になってようやく「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言われた意味が分かってきました。

もう、決して若くはないですが、何歳になっても苦労は買ってでもする気持ちを持ち続けで生きていきたいです。