「途中下車」というノンフィクションを読みました。



40歳までバリバリの仕事人間で、編集長として充実していた人が、地下鉄に乗れないパニック障害になり、会社を辞めて1年間、6歳の子供と定期的に旅をしながら、パニック障害を治しながら、子供との距離を理想の姿に戻したいという話です。

誰にでも無意識のストレスにより「パニック障害」になる可能性はある、というのはショックでした。

私の中では、うつもパニック障害も嫌々やっている仕事から起こることはあっても、自分から楽しんで前向きにとりくんでいればそういうものにはならないと信じていました。

しかし、嫌々仕事をしているわけではない出版社の編集長でも、ある日いきなりこういうことが起こり得るのかと思うといろいろと考えるきっかけになりました。

この主人公は、パニック障害を治すために退職して、子供との旅を中心に生活パターンを変えていきました。決して今後とも永久に仕事を辞めようと思って、退職したわけではないのは共感できます。

世の中の流れとして、仕事は「悪」で義務ではあるが価値の低いもの、優先順位として趣味や子育てなどの家族サービスなどの方が大切だというような流れがあるように感じます。

今回も仕事よりも子供との接触の方が大事という流れだったら、「そうか??」という気持ちにもなったと思いますが、主人公は、今までがあまりにも子供との接触が少なすぎたことを反省はしていますが、子供や家庭と過ごす時間だけに価値があるというような結論は出していません。

私自身を振り返って、「子供との接触時間は十分か?」「子供と気持ちは通じあっているか?」と問われると、仕事柄、平均の旦那方よりは子供との接触時間は多い方だと思っています。

だからと言って、子供の気持ちを十分把握しているかと聞かれれば、そんな自信はありません。

そもそも、接触時間って絶対のものなのでしょうか?

子供とたくさん遊べば、子どもはいい子になるのでしょうか?

「子育ては親育て」と言われますが、子供を育てながら親の方が成長させてもらっていることもよく感じます。

私の考える教育とは、子供も未熟だけど、親もまだまだ未熟です。

親自体がまだまだ成長していかなければなりません。

親が成長して子供の立派な手本になっていけることが、最大の教育ではないかと思います。

父親にとって、成長していくための最大の場所が仕事のように思います。

仕事をいい加減にしている父親がいくら子どもと接触しても、どんな教育ができるのかと思います。



世の中はバランスが大切なので、仕事だけすればいい、子供や家族と接触さえすればいいという問題ではないですが、ワークライフバランスと言われるように、仕事をセーブしてもっとライフを充実させましょうという流れには何か違和感を覚えます。

夫婦も家族もまずは個人がそれぞれ精神的に自立して生きていくことが大切なのではないかと思います。

そうすることで、お互いがいい影響を受けていくことが理想ではないかと思います。

子供も成長していきます。

小さい時にはただ遊んであげることが教育かもしれません。

しかし、子供が成長して人生の悩みを相談されても、その悩みに答えてあげれない親にはなりたくありません。

子供がどんな悩みを相談してくるかはわかりませんが、望むような答えを提供してあげられるかどうかは、親がどれだけ必死に人生を生きてきたかによると思います。

なんとなく楽しければいいというような生き方をしてきたのでは、親が出せる答えも知れているような気がします。


子育てに正解はないのかもしれません。

結果論で、いい子に育てば、成功と言われるし、そうでなければ失敗と言われます。

ほっておいて成功することもあれば、失敗することもあります。

過保護にしても失敗することもあれば、いい子になる事もあります。

最終的には、親の深い部分に愛があるかどうかのような気がします。

対大人でも対子供でも、人間関係とは、自分がされて嫌な事はしない、自分だったらしてほしいことをしてあげる、という当たり前のことをきちんとしていくことに尽きるような気がします。