これは老女の備忘録として書いています。
私は歴史書を読むのが好きです。
学校で習う歴史は主に明治まで、第二次世界大戦以降となると、出来事を時系列に述べて、ほぼ、数字の羅列で済まされます。
つまり、日本は戦勝国側からの歴史認識を有無を言わさず受け止めなければならない立場だからです。
それが今も、ずっと続いているようですね。小中学校では社会科では学年末になるとなぜか明治維新が中心で、昭和はざっと流す程度でお終いになります。先生は戦争について何の説明もしませんでした。
特に公立ではそうでした。今はどうなんでしょうかねぇ?
明治維新については興味があり過ぎて、自分で調べたことがあります。
世の中に広く知れ渡っている勝海舟の業績について、私はその偉業はみとめるものの、
やはり近代国家への明白な構想を持っていたのは 小栗上野介忠順(ただまさ)だけと信じてやみません。
勝海舟は人と人との仲介に手腕を発揮したものの、国家100年の計を頭の中に持っていたとは到底信じられないのです。
徳川埋蔵金のTV番組などで、小栗が幕府から莫大な資金を自分の領地だった群馬県のどこかの山の中に隠したなんていう話が流布してしまいましたが、実際のところ小栗は自分で調達した自己資金以外に持っていなかったことは確かです。
この金を巡って、自称官軍と名乗った野盗のようなゴロツキが首謀者となり、近隣村々に放火、農民を拉致して加勢させたあげく、小栗一家を襲いました(これも仕組まれた陰謀説がでています)
しかし、近代兵器の使い方に一歩乗じていた小栗家臣団に蹴散らされました。
しかし、これを朝廷に対する反逆と無理やりこじつけられて、何の詮議もないまま、烏川の河原で首を切られたのです。
とにかく、薩長同盟に小栗は大変な脅威であったからこんなにも急速に、あっけなく殺されてしまったんでしょう。そして、勝海舟にとっても、小栗は脅威であったはずです。
小栗討伐の黒幕として勝の存在が上がっています。
確かに、人たらしの勝に比べて、なんでもストレートにものをいう小栗は人から疎まれたことは間違いないのです。勝自身も小栗の損な性格を言い当てていました。
小栗の不幸は、周りが理解するには頭が良すぎたことと、時代が彼についていけなかったことでしょう。
使節団として訪問したアメリカで、たった一つのネジを見て、近代社会の工業化の力強さを理解出来たこの天才には、主君として仕えた徳川慶喜の人としての器も余りにも小さすぎたようです。慶喜と勝はよほどウマが合ったのでしょうか、孫娘の婿養子に慶喜の末息子精(くわし)を迎え、婚姻関係まで結んでいます。(類は友を呼ぶですかね)
悲劇の幕臣小栗上野介に肩入れしてきた私に、うれしいニュースがありました。
なんと、2027年のNHK大河ドラマが小栗上野介を主人公にして放送されるというのです。
日本中、勝海舟は知っていても、小栗上野介を知る人は果たしてどのくらいいるのでしょうか。ようやく、時代が小栗の偉業を世に喧伝できるようになったということなのでしょう。
敗者としての小栗は2027年で生誕200年を迎えます。