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最後の呟き壺

あと何年生きるかわからないけれど、今を楽しんで生きるつもりです。その時々の思いを忘れないように記録しています。

これは老女の備忘録として書いています。

最近、思ったことです。
私も二人の子を育てた母ですので、十分その経験はあるのですが、ママ友とのおつきあいは
一見楽しげに見えて、皆けっこう気を遣っているんじゃないでしょうか。
仕事があった私は、ほぼランチ会をパスしていたのですが、それでもたまのランチ会では、
帰宅後にどっと疲れを感じてしまうことがほとんどでした。

先日入った某イタリアンレストラン(チェーン店)で、お昼時はとっくに過ぎていたのですが4人組みのママ友と思しき若いママさん達(一人は乳児を抱っこしていました)の会話が
聞くともなしに耳に入ってきてしまいました。
なかの一人のママがほとんどしゃべりっぱなしにしゃべっていて、それも子供の進学とか、
教育についてでした。極めつけは彼女の母親がいかに教育ママであったか、そのはなしを延々としているのです。素直そうな他3人はうなずいたり、合いの手をいれたりで,傾聴している風でしたが、その話は興味のない人にはさぞ苦痛だったことでしょう。
独演会を開いたようなママは注目されていると思いこみ、ボルテージが上がって、その発話音量もどんどん上がって行きました。途中自分で自分の声の音量に気づきハッとしていましたっけ。
彼女が後からこの時の自分を思い出すだけの思慮があったとして、後悔しなければいいけれどとふと思ってしまいました。いえいえ、誰でもこういうことを幾度か経験して、自分を形成していくのだから、いいんじゃないの・・と思ったりしましたが。

そして、それから間もないある日、よくいくカフェで、長いソファシートに椅子一つ、隅っこのテーブルにいた時、
2テーブル分離れたはじの4人席に、最初二人のママ友が大笑い仕合ながら着座しました。
嫌な予感はしていたのです。周りを全く見ない女性たちに。
それからすぐにあとの二人が到着、そこからはもうとんでもなくうるさい集団と化してしまいました。
この後にも幾人も入店客はいたのですが私が座っている以外、空いている2テーブルには誰も近寄ってきませんでした。

我慢しました、ずっと。
でも耳にキンキン響く音にそれまでじっと本に目をやっていた私も我慢しきれず、下を向いて声に出さずに「うるさい」とつぶやいたような・・?
とにかく表情には出ていたと思いますよ。それに気づいたんでしょうね、4人の中の一人が
何か言って、その他の一人が割と大きな声で「一人で本を読みたけりゃ、図書館とか、そういう一人用の喫茶店にでも行きゃいいのよ」と挑戦的に話したのです。
私は全く視線を合わせず、本を見つめていました。ええ、読むんじゃなくて見つめているだけです。もう文字も内容も頭になんか入ってきません。
そして、私のお楽しみだったレモンパイも半分残して、そそくさとそこを引き上げました。
集団になると、興奮して話し始める人がいるのは分かっていますけれど、それでも時と場所を考慮してもらわないとね。
きっと、このママたちも帰宅後、自分たちの行いを思い出して、少しは考えたんじゃないかしら。
それでも、うるさい婆さんがいて、追い出してやったと考える人がいたとしたら、もう
その方は人生そのままでどうぞ、そういう配慮のない行動がいずれその人の墓穴を掘る原因になるでしょうから。

若いうちはついつい、自分のことに夢中になってしまうのもわかります。
私自身、そういうことを繰り返してきましたから。そして、今になって赤面する場面もありました。人生はさまざまな場面で経験し、反省したり納得したりして続いていくんですからね。
それにしても、ママ友付き合いは楽しいことばかりではない、大いなる修行とも言えそうですね。
すべてのママ友集団に帰属中のママ達へ、貴女たちのこれからの人生、この修行が無駄にならず、よい経験となりますように・・・
余計なお世話かも知れませんが、昔ママ友の一員だった老女が祈っています。