これは老女の備忘録として書いています。
私が浪費家だと思われたら、結構です。
人生初の、最大の金遣いの荒さです。
はい、この7年で、私の金銭感覚が180度変わりました。
蓄財はしない。
お金は今、この時間の対価、そして、私以外の人たちにもお福分けをできるように・・と決めました。
入退院を繰り返して、人生を振り返ったら、自ずとそういう結果になったのです。
結婚後は貯金第一に慎ましく暮らしてきました。
お金が無いと不安でしょうがなかったし,実際、貯めてもすぐ出ていきましたからね。ずっと、働いていました。
後年、身体の自由が利かなくなってきた母から、今の収入と同じ額を出すから、仕事を辞めて自分の介護をしろと言われたことがありました。
何と答えたか・・「いえ、仕事は辞めません。私がこんな風にお母さんの面倒を見るのは私の真心からです。だからお金をもらいません。でも、仕事はあくまで、私の労働の正当な対価ですから仕事は続けます」と。
あの当時、朝の5時に階下に住む母のところに行って、ベッドから起こし、下の始末をしていました。温かいお湯を用意して洗って、拭いて、それから食事をテーブルに用意してから家を出ます。
6時半の電車に飛び乗って2時間かかる他県の職場まで週3回通っていたのです。
あの頃は、元気で、エネルギーに満ちていました。
そして、私はその仕事が大好きだったのです。
母は私を四六時中そばに置いて、あれやこれや指図して使いたかったのでしょう。
でも、私の強い拒絶に会い、もう2度とそんな申し出はしませんでした。
母は矜持が高い人なのです。
その時得たお金は、ほとんど子供たちの教育費になりました。
それでも息子の授業料が払えず本当に困っていた時、それを察した父が母にも内緒で、そっと援助してくれました。
私が困っている姿を見たとしても、母は決して自分から援助を申し出るなんてことはしません。
もっとも、私からも助けてとは口が裂けても言えませんでした。
もちろん、お祝い事や、節目、節目ではご祝儀袋を渡してはくれましたよ。
でも、お金には厳しい人でした。これは決して批判しているんじゃありません。
こういう母のおかげで、私たち家族は当時から現在まで何とかやりくりして暮らせてきたんですから。
あの頃は、二つぐらい掛け持ちで働いていましたっけ。
なんとか、やりこなし現在に至っています。
そして、自分の持ち時間を両親のなくなった年齢と照らし合わせ、仮定してみるとあと10数年ですね。
となると、お金は残してもしょうがありません。
たいした金額でもないのですから、この際、この世で使って死んでいきましょう。そう決心した次第です。
姉弟関係の子供達が、私の残したわずかばかりのお金でいがみ合うのだけは避けたいのです。
そして、私にとって人生で一番大切なものは家族や周りの人たちと笑いあっていられる時間です。
勿論、この世に生かされてきたことに感謝する意味でも、ほんのわずかでも社会に恩返しをしていきます。
これがあと10数年、私がするべき経済生活だと思っています。