国境・民族 人間という生物 | 最後の呟き壺

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あと何年生きるかわからないけれど、今を楽しんで生きるつもりです。その時々の思いを忘れないように記録しています。

これは老女の備忘録として書いています。

世界はひと時でも静止はしてくれません。
変化あるばかり。
最近のニュースは暗いものばかりと嘆いてみても、そんなことは以前でも山ほど
あったことなので、驚くには値しないのかも知れませんが、それにしても世界は大きな戦争状態2件(ウクライナ、パレスチナ)、国内は政治家の政党ぐるみの違法行為捜査etc。
いやだけど、これが人間が生きる社会であり、世界なのでしょう。

人が国境を定めたのは、いつごろからなんでしょうかね?
中国が中国として成立する前、西のほうから攻めてくる蛮族(攻められるほうが勝手につけた名前)に対して、自分達の縄張りを定めたのが国境というものでしょうか?まだ、国が成立してないなら、それは国境とはいえませんね。ただの縄張りかしら?

ずっと以前、娘とフランス旅行をしました。
パリからモンサンミシェルまでの1日バスツアーにいきました。
ガイドさんは日本語を流暢にあやつる女性、その日本語は大阪弁に近いものでした。若いころ大阪の大学に留学していたとの自己紹介で納得しました。
彼女はいろいろな興味深いことを話してくれたのですが、その中に、フランス人というのは一体どういう人たちをそういうのか?とフランス政府が数年前、フランス全土でアットランダムにDNA検査をして調べたところ、圧倒的にポーランド系の人々のDNAが多かったという話でした。彼女自身もポーランドからの移民の子孫とかで、この話の信ぴょう性はこの際問題ではありません。
つまり、フランスという国家が成り立っている現在、そこに生きる人々をフランス人と総称するということになるのでしょう。とすると、国家は民族によって成り立つという定義は成立しません。
ある文章を読んでハッとしました。
現在の難民の不法侵入を昔は蛮族の侵略ともいったという一文でした。
そうか・・難民はなにも飢餓や政治的迫害を受けて逃げ出してきた人々ばかりではないなぁ。むしろ、生活水準の低いところからより良い生活を求めて新天地を目指してきた人々のほうが圧倒的に多いはずです。
いつの時代もこの人間の移動は繰り返されてきたはずです。
特に,地続きの大陸間では。
ただし、島国への渡航とて例外ではなく、船も使えば、極端な話、短い距離なら泳ぎもしたでしょう。文明(特に科学技術など)は総じて、高いところから低いところに伝わっていきますものね。

ひとくくりに移民、難民の定義をいうことはできませんが、その人々が長い年月の中でそこに染み込み、結果、歴史の流れの中で揺れながら国家とか、国民とかは成形されていくのかもしれません。

そして、ある時期、既得権益を強固に主張する集団がそれを脅かす集団に戦いを仕掛けたりするのが戦争なのかもしれません。

こう考えていくと、戦争というものは、結局は人間の本性にしっかり基づいていますよね。
そう、人間のもつエゴと強欲(これを人は体よく生存本能と呼びます)。
勿論、人は美しい魂も持っている場合もあります。隣人愛、共感力、協調性などなど。
こうして、人間は自分の内にカオスを抱えながら、ずっと繁栄してきた社会的生物なんだから、今の世界は決して驚くには値しないものだと、自分を納得させているんです。そうしないと、世界が壊れつつあるようで、怖いから。(そして、私は内心は信じているんです。壊れはしない、ただ、変化するだけだ・・・と)

老女はいらぬことまで考えてしまいます。
もうすぐこの世界を去るというのに。