読書について | 最後の呟き壺

最後の呟き壺

あと何年生きるかわからないけれど、今を楽しんで生きるつもりです。その時々の思いを忘れないように記録しています。

これは老女の備忘録として書いています。

最近、Audible (物語の読み聞かせ)をお試し期間限定でやっています。
目が疲れやすく、私の読書習慣がちょっと変わってきた感じがするからです。

目がかすみ、集中力が途絶えがちになりました。
読んでも、内容がなかなかストンと落ちてこないのです。
理解力が衰えたのかしら?
根気がなくなったのかしら?
自分に合う作品に出合えなかったからかしら?
そのどれもが、当たっているのかもしれませんが、日常の習慣となっていた読書に変化が起きたことは、やはり、加齢が原因でしょう。

それで、ちょっと気になっていた「書物の朗読」を聞くことにしました。
今日まで、十数冊試してみました。
私の場合、携帯のイヤフォンをつけて、移動中に聞いたり、ベッドに入って寝るまでの時間で聞いたりしてきました。
これがどうも、眠くなると、うとうとした瞬間から数分間、内容が飛んでしまっているのです。電車やバスでの移動中は聞いていても、下車後はすぐ切ってしまうので、途切れ途切れの内容は、筋の流れをつけるためにまた元に戻って聞くことになります。
この目で読むことと、耳で聞くことは、脳の処理作業が違っているから記憶の定着とか、理解とかに相違が起きるのかもしれません。
目で活字を追いかけるということは、手間の多い作業なんですね。
耳から入っていく音はそのまま脳に入りますが、活字を目から入れると、
漢字なら、まずその字の持つ広範な意味を思い浮かべ、そこから適切な意味を当てはめていくということを、意識せずに瞬時に行っているわけです。
これは、やはり長い間の読書経験が土台になってスムーズになされる脳内処理なのだと思います。

子供のころから本を読むことは好きでしたが、本当に読書が好きになったのは、小学校3年生の頃でした。
当時の小学校のクラスでは60人もの児童が詰め込まれ、常に騒がしく、乱暴な男児のけたたましい雄たけびが休み時間の度に飛び交う、カオスの世界でした。
今思い返せば、私にとって、毎日、小学校へ通うということはつらい修行のようなものでした。

女児同士の仲間関係、そこからはじき出されると一人ぼっちになる恐怖。
みなと違う格好をしてるからといって差別されていた女の子がいました。
そして、私はその子と仲良しになっていくと、あの子と遊んじゃダメと命令してくるグループのボス女児・・・幼いながらも毎日が心揺さぶられる日々だったなかで、唯一私の心の避難場となったのは読書する時間でした。

お昼休みのわずか30分弱がなによりも好きな時間でした。
学級文庫という本箱が教室の後ろに置かれ、そこにはクラスの有志からの寄贈本が並べられてありました。余り人気がなかったのか、そこを利用するのはクラスでもわずか数名ぐらいで、ほとんどが女児でした。
私にとってそこに収められた本はほぼ読み終わったものでしたが、後から追加された女児むけの本は人気があって、ある時、それを借りるのには、あと一人というところまできていました。やっと、借りられると思ったある日、その本を無理やり横取りした者がいました。クラスでも乱暴者の男児でした。「〇倉〇樹」今でも名前をはっきり覚えているのは、本当にあの時、とても憎んでいたからでしょう。
男の子が興味を惹かれる本ではありませんでした。
その子はそれを読んではいません。ただ、私に対するいやがらせで、そんな意地悪をしたのです。(以前、50年ぶりに、担任の先生のご葬儀後のしのぶ会に出て、彼に会った時、もうすっかりそんなことは忘れていましたね。)
これが、世の中には、他者の喜びを取り上げて、その人が悲しむ姿に快感をおぼえる人間がいることを初めて知った時でした。

とにかく、私にとって、苦手な人からの避難方法が読書に没頭することでした。
読書習慣のおかげで、知的好奇心も満たされ、難解な心理小説の行間の読み解き方も、少し分かってきました。それに伴って、人の心のありようが理解しやすくなったことは事実です。私にとって読書は音楽同様、人生の喜びとなりました。

そんなこんなで、今日まで来たものの、肉体の衰えと共に、この素晴らしい習慣も少しずつ変えていかなければならないと思っています。
そこで、書籍とAudible の活用範囲を分けてみました。
Audibleはビジネス・キャリア本、How toものなどに使っていけばいいようです。
目から入る活字の妙味は、やはり歴史、文学、ミステリーなどの大文字書籍で味わいたいとおもいます。(拡大レンズも用意しています。)
あっ!ちなみに私はキンドル版はダメなんですね。
紙の上の活字に慣れすぎてしまっています。そして、なんといっても、1ページめくるごとに指先に感じる紙の質感がすきなのです。

良い時代になりました。
こうやって、老化していく人間に寄り添って、今までのやり方を少しでも失わずに補助してくれるものが次々と現れてくれます。
当分、私は読書の恩恵にあずかれそうな気がします。感謝、感謝です。