職場の夏休みも今日が最終日。
明日からは4日働いたら今の職場を卒業して、母親の介護のために大阪に帰ります。
そんな今日は、2005年から長い間お世話になってきた病院での最後の診察日になりました。
横浜市金沢区の小さな山の頂上にある神奈川県立循環器呼吸器病センター。私のブログには何回も登場していますね。
去年くらいまでは自分の最後を看取ってもらうのはこの病院だと心に決めていました。
今の主治医は2007年からずっと診ていて下さった、循環器部長で副医院長。2回も急性心筋梗塞を起こした後の3回目を直前に防いでくださった私の命の恩人でもあります。
そして、急性期対応の拠点病院でありながら15年間も私の診察をしてもらっていたということは、それだけ特異的な回復をした例だからも知れません。3回のカテーテル手術で心臓に合計9個のステントを入れて、フルメタルジャケットとなった私が”前代未聞”の驚異的な回復をしていたころ、先生から聞いた話では65歳くらいまでは普通に生活できるかもしれないけれど、そこからは急速に身体の機能が衰えてくるだろうということでした。これは当時では一番良い所見であって、それより前、2回目の手術をした直後に他の病院や他の先生から受けた所見は、頑張ればあと5年から10年は生きることもできるぞという、励ましの言葉でした。それだけ、酷い状態だったのです。
だから、その当時は65歳まで寿命をもらえるならば、最期もこの病院で迎えることができれば良いなと思っていました。
で、最後の診察日の今日、先生に今後の経過の見通しについていろいろお聞きしていると、データはともかく、臨床状況があまりにも良いので75歳くらいまで、身体全体の機能が保てるような予想でした。
”おっ!! 寿命が10年延びた!!
まだまだ、やれることがあるぞ!!”
と、内心嬉しくなりました。
2007年のころから今までには、会社も作ったし、単独インド弾丸ビジネスツアーなどいくつかの冒険もしたし、会社を潰してからは、夜勤の仕事やガテン系の仕事など、健常人でも辛い仕事で生活を再建してきました。そしてウォーキングは今でも続けています。
これらのことが、健康にプラスに働いてきたようです。
これから帰る大阪は自分の生まれ故郷であり、子供のころ育った土地でもあります。昔からの知り合いも多いし、それに関西人はノリの良い奴が多いから、まだまだ何かやらかせそうな気になって来ました。
最後に、先生からは親の介護も大事だけれど、自分自身の人生を大切にして、自分の生き方を見失うことのないようにとアドバイスをいただきました。
今まで数えきれないほどの患者さんを診てきて、多くの人の人生の終焉も診てきたであろう先生からいただいた言葉はとても心にしみました。
ありがとうございました。


