[1].大阪、そして神戸へ
2011年の2月頃には仕事の方も充実してきていました。資金調達には相変わらず成功していませんでしたが、親身に話しを聴いてくるベンチャーキャピタルも現れ、彼の言うことを一つずつクリアして行けば年度が変わった4月頃にはどうにかなりそうな感触を得ていました。
そしてこの頃には二つの委託事業の初年度の成果発表会がありました。1月が経済産業省の戦略的基盤技術高度化支援事業の中間発表会があり、そして2月が神奈川県のグリーンIT活用産業振興事業の発表会でした。初年度と言っても、人材を集めたのが8月、本格的にスタートしたのが9月でしたから実働期間は5ヶ月くらいです。委託事業に応募する際の募集要項から全体のスケジュールが判っていましたので、応募に際しても初年度はあまり多くの成果を盛り込んでいませんでした。本格的な開発は2年目に入ってからと決めていました。その様な割り振りだったので、1年目の達成率はかなり良いものとなりました。
ハードウエアのグループも、ソフトウエアのグループも基本設計をまとめ、付き合って行ける協力会社の選定を終えていました。ベンチャー企業が何か大きな装置を作る場合には、この”付き合って行ける協力会社”を見つけることがとても重要になります。大企業と違って、自分たち自身の信頼が小さいので、優れた技術や製品を持っている会社に参加して貰いたくても、相手がこちらを相手にしてくれなければ話しは進みません。社員は当初この意味が肌身に感じていないようなこともありましたが、直ぐに理解をしてそれぞれ良いパートナーを見つけてくれました。
そして、二つの委託事業の初年度の中間発表会を無事に乗り切り、次年度の計画をまとめ、それも承認されて一息ついた3月の始め、私は久しぶりに大阪と神戸を訪ねてみることにしました。具体的な名前は忘れましたが、前年の2010年の暮れに何かのビジネスショーを訪問した際に神戸市のブースに立ち寄り、名詞を置いてきました。その縁があって、神戸市のポートアイランドで開発が進んでいる最新鋭のスーパーコンピュータとその付属施設のお披露目会の招待をメールで受け取っていました。このスーパーコンピュータは、かつて話題になった”2番じゃダメなんですか?”のあの京速コンピュータです。そして神戸市主催のこの会の目的は、神戸市への企業誘致でした。
神戸には学生時代に2年間下宿していたこともあり、いろいろ思い出の多い街です。阪神淡路大震災の時には東京で暮らしていましたが、直後に救援物資を持って友達と一緒に大学を訪ねました。その後、被災した顧客の会社を応援するために、損傷を受けたビルを解体する重機の音が聞こえてくる三宮のホテルに泊まったことなどもありました。
しかし、本格的な復興がかなって落ち着きを取り戻した後の神戸にはしばらく訪れていませんでした。
日程は3月7日。懐かしさを覚えた私はお誘いがあった日に申込みを済ませ、この日を楽しみに様々なスケジュールをこなしていました。それに、計算機科学やシミュレーションの分野で生きている人達がどんな人達か興味がありました。近年では半導体リソグラフィーの分野でも計算機科学や専用のコンピュータが多く使われていますが、残念ながらこの種のビジネスショーやセミナーに出席しても、昔ながらの顔なじみの人達が前面に出て来ることが多く、純粋な開発者にはなかなか出会えません。
まだまだ漠然としたイメージでしたが、広く波を集めて発電をするには、波の挙動の精密なシミュレーションが必要になると考えていました。そのためには先ずは”シミュレーション屋さんて、どんな人?”そういうことに少し興味を持っていました。
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