以前にお伝えしていた、元阪神タイガース で 野球解説者 の濱中治さんからインタビューを受けた際の内容が、BーPlusに掲載されました。
なかなか壮大な話になっています。
是非、一読下さい。😊
インタビューを受けたのは昨年の11月28日金曜日の午前中でした。
インタビューは大阪市北区の天神橋六丁目のスタジオで行われました。
この日は、前立腺癌の放射線治療を始めて第2週間目の最終日だったので、顔が少し腫れて普段より年寄りっぽく映っています。
まあ、それでも年齢よりも若く見えるのが私の取り得です。(現在65歳)
インタビューを受けた後は急いで自宅に帰って、昼食を取り、午後2時半には放射線治療のために関西医大付属病院に向かうという、なんとも私らしい一日でした。
それにしても、日本には数えきれないほどの会社が存在して、みなさまがそれぞれに必死に努力をされている中で、私のような者に声をかけていただけたのは驚きでした。
そして、濱中さんからインタビューを受けたのが嬉しかったです。
濱中さんは、星野仙一監督率いる阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝を果たした2003年の、シーズンの開幕4番を務めた中心メンバーだったと記憶しています。
2003年当時、私は横浜に住んでいて、横浜ベイスターズを応援していました。
1998年の日本一以降、すっかり弱くなってしまったベイスターズは、この年は特にどん底の底が抜け状態だったので、プロ野球のことは、なるべく気にしないようにしていました。(ベイスターズファンの記憶に残る暗黒時代です。)
それでも、私は横浜に住む前までは、タイガースファンでした。
特に阪神タイガースが日本一になった1985年当時は神戸市東灘区に下宿していて、大変盛り上がっていました。
中でも、私と同じ山本で、背番号25のサウスポー、山本和行投手のファンでした。
だから、2003年当時、星野監督のもとで快進撃を続けるタイガースを、”阪神、いいなぁ~!!”という感じで見ていました。
確か、濱中さんも背番号25でしたね。
そして、ちょうどその当時の私の職業が、BinTechnologies(ビンテクノロジーズ)という屋号を持った技術コンサルタントでした。
仕事の内容は半導体用フォトマスクに関連した技術的な助言でした。
コンサルタントと言っても、世間一般の垢ぬけたイメージや、あるいは怪しげなイメージとはちょっと違って、クライアントのエンジニア達に混じって一緒に働く夜型エンジニアといった感じでした。
当時のクライアントは日本電気(株)でした。
かつては世界一の半導体メーカーの”聖地”と言われた相模原事業所に、昼前に顔を出しては、社員食堂で昼食を取るところから始まり、夜中の2時過ぎに事業所を出て、途中でラーメンを食べて家に帰って寝る生活を繰り返していました。
(こんな生活をつづけていたから、あとで生死の境をさまようような大病を繰り返すことになりました。)
どんな立場にあっても健康管理が第一だぞ~っ!!
このBinTechnologiesは、10年近く続き、2009年に法人成りの形で一旦消滅しています。
(2010年、当時50歳)
それからいろんなことがあって、2022年に地元大阪に帰って来てから立ち上げたのが現在の2代目BinTechnogiesになります。
2代目BinTechinogiesは、このブログでいつも書いているように、Surf Stream Power Generation (SSPG, 日本名:サーフィン発電) を世に出す活動を進めるうえでの推進母体になります。
14年前に、何もないところから始めたSSPGですが、今回、こうしてメディアで取り扱っていただけて大変光栄です。
SSPGは出来上がってしまえば、後世に
”こんなもの、誰でも思いつく簡単なものだよ!!”
と陰口を言われる類のものかも知れません。
でも、それこそが私の望むところです。
前例のない日本発のSSPG。
これからも応援、よろしくお願いします。
よし、今年からタイガースファンに戻ろう!! ![]()




