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apropriado Nagoya

旧apropriado in Singapore
パーソナルカラー診断アプロプリアード スタッフsachieのブログ

前回からの続き



日本帰国の4か月後


シンガポールへ移住。


しかもそのとき、既に第二子の妊娠発覚。


妊娠が分かる前は


今度こそ自分の仕事を!と意気込み


準備をしていたのですが


またも延期・・・。


でも、次男も2歳になり


長男と同じ保育園に通えるようになって


シンガポールで


パーソナルカラー診断を再開することを決意。


常夏で、お洒落の内容にも


かなり制約があるからこそ


(年中半そでとか、重ね着は暑いとかetc)


色でもっと楽しんでほしい!


という想いのもと、パーソナルカラー診断を


再スタート。


息子たちがローカル幼稚園に通っていたご縁で


シンガポール、オーストラリア、オランダ


そして現地に住む日本の方の診断を


させていただきました。


人種や文化による"美"の基準の違いはあるの?


という長年の疑問を解くヒントも


この経験で得られました。


子どもたちをローカル校に通わせたり


現地で次男三男を出産したり


子どもたちも、またまた入院や骨折を


繰り返し(苦笑)


母としても、いろいろな経験を積めて


厳しいながらも、幸せな6年間でした。


シンガポールでの生活は


人生で最大に周囲の方に助けられた日々でした。



そして、名古屋でも素敵な出会に恵まれ


楽しく過ごせてます。


もちろん、3男児の母


日々色々、本当にいろいろあります…


でも、温かい友人に囲まれ


優しさに癒やされて過ごしています。



今まで受け取った優しさを与えてくれた方全員に


直接返すのは難しいから


形を変えて、私のやり方で


世の中に幸せな気持ちを還元できたら!


という想いを胸に


パーソナルカラー診断を続けていきます!


前回
に続き


またまた私のことを書かせていただきます。



カラーの仕事を続けさせていただき


次の転機がきたのが32歳


長男誕生の年です。



選択肢はいろいろあったのですが


専業主婦になり


育児に専念することを選びました。



実穂さんには、本当に迷惑を


かけてしまったけど


快く受け入れてくれて


本当に温かい人です。




初めての子育て


他人様の目からも手のかかる息子・・・


悶々とした日々はかなり長く続きました。



そして、少し落ち着いてきた頃


育児サークルを主催している方から


カラー診断をママさんたちにしてほしい


というご依頼をいただき


その日を楽しみに準備する日々。



ところが正に青天の霹靂!


家人が日本の会社を辞めオランダ行きを決意。


「家族はいつも一緒」が大前提の我が家


もちろん息子と私もオランダへ行くことに。


予定していたカラー診断は


キャンセルさせていただき渡蘭準備


いろいろな想いが駆け巡る日々。


渡蘭後は、長男の育児サークル探しから

始まりました。

その後、予防接種、健康診断の予約

ナーサリーを選んだり

プールやジムに通わせたり。

まさかの長男入院で

オランダ式の入院生活も体験しました。

楽しいことも、辛いこともいっぱいあったけど

いろんな人に助けられ

オランダで過ごした1年間は


私にとって生涯忘れられない


大切な宝物です。




実はことのとき


着付けをしているお友達から


「いつか2人で何かできるといいね~。」


なんて話していたんです。


ところが、結局夢かなわず日本へ帰国。



その4ヵ月後にはシンガポールでの


生活が始まっていました。



まだまだ続きます😅




ご挨拶代わりに私の経歴のようなものを

書かせていただこうかと。


1974年生まれ ただ今44歳、3男児の母

出身は福岡県と大分県の境目近くの小さな町


カラーの勉強を始めたのは24歳

社会人2年目の年でした。


当時の私が持っていた資格といえば

運転免許と華道(草月流)のお免状くらい。


しかも華道は師範3級のお稽古中に

やめてしまったので師範の資格は無し。

一応雅号(華道の世界の名前?)は持っていますが・・・


もともと花を扱う仕事をしたかったので

それに役立つ勉強をと思い興味をもったのが

「色彩検定」でした。


その頃の職業は塾講師(理科)だったので

一応その仕事にも、少しは役に立ったのかな~?

と今になると思います。


そして、のらりくらりと勉強を続け

転機がきたのが27歳。

結婚のため東京へ引越し


その後パーソナルカラーでもお世話になった

カラースクールで、本格的に勉強を始めました。


福岡のド田舎出身

(未だに実家近くには鹿やいのししが出没します)

の私には

白金台にあるスタジオと

そこに集まる先生方、受講生のみなさんが

まぶしく見えたのを未だに覚えています。


あのとき「何だか場違い?」な自分にメゲ

逃げ帰らなくて本当に良かった。


そして色彩検定の1級の資格をとり

資格取得後は、運よくある色彩検定対応講座の

アシスタントとしてお手伝いできることになり

そこから講師の経験もさせていただきました。


その後、パーソナルカラーの勉強を本格的に

始めたのが28歳。


自分のファッションセンスに自信のなかった私・・・

(今でも自信アリとはいえませんが

学習と経験で自分を進化させています)

ディプロマをいただいたときは本当に嬉しかった。


たぶん人生の中でも5本の指に入るほど嬉しかったできごとです。


そして、パーソナルカラーを勉強したときの


同期である実穂さん
に声をかけていただき

アプロプリアードとして活動を開始

きっとあのとき、声をかけていただいてなかったら

カラーリストとしてのお仕事を

始めていなかったのではないかと思います

(動き出すと止まりませんが、動き出すまでは

想像で悩みまくる性質です)

まさに、運命のめぐり合い(と勝手に思っています)


今でも本当に「感謝」の一言です。


でも、最初の頃は本当に辛かった

「閑古鳥」とはこういうことなのね~と、しみじみ実感


ありがたいことに

たま~にご予約のメールをいただいて

返信をするのに超(それはそれは、本当に)緊張・・・

失礼のないように

誤字脱字のないようにと

何度も返信メールを推敲したり。


ただただ、来ていただいたお客様に対して

パーソナルカラーの素晴らしさを

誠心誠意お伝えして参りました。


そして、徐々にお客様に来ていただけるようになり

たくさんの方の笑顔を拝見しては

「なんて幸せな仕事なんだ!」と

改めて実感。


もちろん、落ち込むこともありましたが

全てはお客様がさらに美しくなり

自信に満ちた笑顔でお帰りになることで

解消されました。


これと同時に


カラースクールの講師

大学や専門学校の非常勤講師

NHK学園の添削講師も経験


本屋さんに並ぶような問題集の出版に

携わせていただき

出来上がった問題集を本屋さんで見たときは

自分の名前が載っているわけでもないけど

凄く嬉しかったこと!


30歳前後は

悩むことや落ち込むことも多かったけれど

周りの方々に支えていただき

本当に仕事で充実した日々でした



ちょっと長くなってしまったので続きはまた!