これは中国雲南省にある麗江市という場所に行った時のお話です。

私達は麗江の中の麗江古城に行きました。
そこはかつて少数民族であるナシ族の都であった場所です。
現在はナシ族、他にリス族、プミ族、ペー族、イ族などがおり、漢族以上に少数民族の多い地域となっているようです。
またこの古城は世界遺産にも登録されています。

雲南省には中国の56民族のうち半数の少数民族が共存しています。そして少数民族が漢民族より多く住む地域がこの他にもたくさんあります。

今回は私達の旅を通して、中国の少数民族の生活を紹介します。
これはwechatで見かけたあるお話です。

新年が終わり、お父さんが仕事のため都市部に帰ってしまいます。別れる直前、女の子はお父さんに聞きました。
「お父さん、向こうで1日働いてどれくらいお金をもらうの?」
お父さんは少し考えて言いました。
「だいたい200元かな?」
女の子はすぐさま貯金箱を持ち出しました。中には、1元、5元、10元、全て小さなコインや、汚れてボロボロになった紙幣、それらが丁寧に折り畳まれて分厚くなっていました。1番底には真新しい100元札がありました。

女の子はお金をお父さんに手渡して、「私のお年玉と今年貯めてきたお金、全部で213元5毛、これ全部あげる。お父さん、もう一日だけ、私のためにここに残って」

お父さんの目には一瞬で涙が溢れていました。


お年玉もお菓子も、新しい服もいらない、
たった1日だけでいいから、もう1日だけ一緒にいてほしい。


これは中国農村部のある女の子の家庭でのお話です。
新年という後にある別れの季節に、考えさせられます。
今日は日本のお正月です。
毎年1月1日に神社の初詣に行っています。

今年も例年通りに行きました。
初めは日本の文化を体験したかっただけだったのですが、
気づけば毎年1月1日に必ず行くようになっていました。

中国の熟語で言えば、入郷随俗(郷に入れば郷に従え)。

今は、初詣に行くことで、心の中がすっきりします。
今年は去年の神社のお守りを心をこめて感謝して返却し、
「今年も宜しくお願い致します」という感謝の気持ちも伝えました。

 又、帰りには神社のお酒は少しですが神社で頂き、お酒を飲んで喉ごしが爽やかになり、側でお酒の販売もしていましたので、一期一會だからと言う意味で買うことにしました。

今年も良い年になればと思います。

前两天在あべのハルカス 美术馆展出了日本大画师北斋的画。北斋是日本一百多年前家喻户晓的浮世绘的代表大画师。日本的浮世绘,主要是描绘一些平凡的生活气息,有自然,人物,风景,每幅画都细腻逼真,使人如临其境。

来到展览厅时已有些拥堵。我跟随人流缓缓移步,一幅幅画面,一段段故事向我娓娓道来,仿佛大师正引领我去另一个世界探访。

这是一张仲夏之夜寻欢图。三个男女青年在一间四无遮拦的小木搭棚里懒散地扶靠在欄杆上。清秀年轻的脸庞向着空旷黑洞洞的远方,他们互相倚靠着,似乎还能听见他们正在窃窃细语,披在身上软软的绸缎衣裳被晚风轻轻抚起,显得婀娜多姿,风韵绰绰。他们脚下的小矮桌上还留有没吃完的菜肴和酒……

不知不觉我在这幅画前站立了有些时间了,我不得不又快步赶上了前面的人流。

海面上狂风作浪,波涛翻滚,气势汹涌。一个巨浪泛着泡沫高高冲向半空中几乎占据了画面的三分之一。怒吼咆哮的浪涛里隐约可见的木板小舟作着垂死挣扎,剧烈摇晃着的船身随时都会被顷刻间吞噬或击碎的可能。
我被大自然的威力给震慑住了,被超凡的艺术表现力给感染了,更被落款处大师的年龄,70~80岁作所惊讶得张大了嘴。
耳畔久久萦绕着阵阵浪涛声,挥之不去。

看完了画展,意犹未尽。在出口处买了几张临摹,想再细细品味一番,感悟生命之真谛。
四字熟語は中国の古典から出てきているものが
とても多いです。話し言葉でもよく使われています。今日はその中の一つをご紹介します。
 
「紙上談兵」

 出自《史記·廉颇蔺相如列传》記載
戦国時代に赵国の将軍赵奢の子、名を赵括という者があり、幼なくして兵法を学び、兵法を語り出すと父親も顔負けするほどの知識力を持つものであった。
 後に長平の戦いの際、彼は廉颇に代わり赵国の将軍となる。しかし、彼は兵法書に従った戦法しか知らないのだった。臨機応変に対応する術を知らず、結果秦の国に大敗してしまった。

解説
紙面上で戦法を練ること。理論だけを語り、実際の問題を解決できていないことの例え。

例文
これらの考えは『紙上談兵』であり、実際の行動に移すのは困難である。


「纸上谈兵」

出自《史记·廉颇蔺相如列传》记载:战国时赵国名将赵奢之子赵括,年轻时学兵法,谈起兵事来父亲也难不倒他。后来他接替廉颇为赵将,在长平之战中。只知道根据兵书办,不知道变通,结果被秦军大败。

释义:在纸面上谈论打仗。比喻空谈理论,不能解决实际问题。

造句 : 这些想法都只是纸上谈兵,真正实施一定有困难。




 バンクーバーを訪れた際に野外映画祭を観る機会がありました。初めはバンクーバーでも野外映画をするものと知らなかったので興味本位で観に行ってきました。
  中国で野外映画を観に行った時はコンクリートの上でそれぞれレジャーシートや折りたたみの椅子を持ち寄り、片手に菓子や瓜種を摘んで待ち時間は会話を楽しんでいるのが印象的でした。
 日本の時は屋台が横に立ち並び、かき氷やまるでお祭りの情景が浮かぶようでした。
 バンクーバーでは会場に近づくにつれて映画館のようなポップコーンの香りがし、広い公園の真ん中で多くの人がブランケットをひいて楽しんでいました。また面白いことに、後ろの方の木の木陰にはハンモックが吊り下げられていて、そこでリラックスした観客もいました。とてもバンクーバーらしいと思いました。
  同じ野外映画でも国が違えば感じる雰囲気も違うのだと肌で感じました。
 

 この前中国に居る友達から聞きました。
友達のマンションの下で露天映画があったとの事です。
 これを聞いて私は、昨年日本でもやっていた露天映画を思い出しました。それは、奈良公園の中の東大寺付近でやっていたもので、そよ風が身を包み広い芝生の中、周りの土の匂いが漂うそんな中で露天映画をゆったりと観ることができました。
 浴衣がけの人や子供の声がして、自然と一体感を感じられ素晴らしい気持ちになり、とてもリラックスできましたことを記憶しています。
 今年も是非そんな気持ちを味わいたいです。


http://zhongwenjiaoshi.jp/index.html

 
http://zhongwenjiaoshi.jp/koe.html

 毎年中国に帰る度、新しい発見がありす。ここ数年で

 

気づいたことは街の外観の変化です。以前はビルの

 

工事が街の至る所でされていて、中国に帰る度迷子に

 

なっていました。 
 

  しかし、去年くらいからそれも落ち着き始め、気づけば

 

道路脇に停められていた車も減り、道の幅が広くなった

 

ように感じます。街の環境整備に重視されるようになって

 

きたようです。 駅付近に行くと、ヨーロッパの街でもみられ

 

るような、ワンコイン(人民1元)からで使える自転車がおい

 

てあり、ステーションからステーションへ乗り捨てが出来る

システムが広まってきました。これは自動車が増えた結果、

 

ナンバープレート取得が困難になったり、駐車するスペース

 

が無くなったり、たくさん問題が増えたためです。
 
 公共自転車が設置されることで、自転車を買う必要がなく、

 

たった一元からだけで通学通勤が楽になるのです。
 http://zhongwenjiaoshi.jp/index.html

  http://zhongwenjiaoshi.jp/koe.html

  昨年末、日本では何時もと同じように年末の紅白歌合戦

 

が有りました。私は日本の紅白を見ているうちに、なんだか

 

日本の紅白はちょっと地味だなと感じました。色が白と赤の

 

他に黒などもあり何か全体的に少し暗い感じがして、何時

 

もの紅白より地味さを感じました。

 

  ちなみに中国でも紅白と同じような番組「春晩」が毎年旧正月

 

に行われています。中国のものに比べて日本の紅白は、年越

 

しなのに華やかさが欠けるように感じます。それはどうしてか?

 

と考えてはっと気がつきました。日本では一年の締めくくりには

 

その一年の感謝の気持ちや、改まった気持ちで振り返ることが

 

重要視されているのだと思います。

  

 そして年末の除夜の鐘で新年を迎えます。日本の数々の神社

 

には、大勢の人が押しかけては賽銭箱に100円から1000円位ま

 

で投げ入れて新年の気持ちでこの年が自分や家族にとっていい

 

年になる様お祈りするようです。

 

 中国の新年と日本のものを比べると、中国のお正月で重要視す

 

るのは新しく始まる一年、日本で重要視するのはもう直ぐ終わる

 

一年に対する感謝の気持ち、だと言うことではないのかなと思い

 

ます。

 http://zhongwenjiaoshi.jp/index.html

 

  http://zhongwenjiaoshi.jp/koe.html

  今では外の景色もすっかり秋らしくなりました。街を歩く人も

 

だんだん冬服を着る人が多くなって来ました。私は秋が来る

 

と何か嫌な気持ちになります。それはだんだん寒く暗い感じ

 

がし、日が短くなり嫌な感じがするからでした。
  

 ところが、この間空を眺める機会があり、その感覚が少し

 

無くなりました。それは、何気なく木の葉っぱを見ている時に、

 

その葉っぱの間から空が見えたのです。空は何も変わらず

 

何時もそこに有ります。見ている人間はいつも忙しくそんな

 

余裕は無いのです。私は以前は秋が来るのが嫌いでしたが

 

今ではとても好きになりました。

 

http://zhongwenjiaoshi.jp/index.html

 

 

 http://zhongwenjiaoshi.jp/koe.html