生まれ故郷の金沢には 亀坂 と書いて がめざか と呼ぶ坂がある。 

 

高台の 小立野 から 急傾して 降りているその坂には 小さな怪談話まで 在るほどだった。

 

当時 小立野に住んでいた私は がめざか を降りて 伯母の家に行くのが 日課だった。伯母といっても血はつながっておらず

いわば義理の姪っ子といった関係である。 それでも富美子おばさんには とてもかわいがってもらった。

伯母の家には 伯父さん と呼んでいる伯母の弟が居候し、 そのおじさんにもとてもお世話になったものである。

 

当時 19歳だった 私は ほかの女子大生と ボロボロの 古屋 に 住んでおり、 雨漏りがしたり、 ムカデが出たりと大変だった。 そんなとき ベットや テレビ 生活必需品を とりそえる 手助けをしてくれたのがこの二人である。

 

亡くなった 実父の養父には ふたりの娘があり、 一人は父よりも20歳上。 もう一人は10歳上の女の子だった。なんでも 養父が養母と結婚するとき、20歳になる娘は隠していたらしく、 初めて知ったときには 祖母もびっくりしたという。

その女の子がのちの私の 富美子伯母だった。 彼女のお母さんは のちに ほかの人との子どもを身ごもって 其れで生まれたのが弟さん。 その人のことを私は おじさん と呼んでいた。何とも 複雑な家系である。

 

何はともあれ、 近所の ドイツの坂を上ってるとき急に この金沢の がめざか のことを思い出した。暑い夏の日なんかは 上るのが大変で 冷たい麦茶なんかをを飲みたくなる。 ドイツと金沢では かなり異なった 世界だが その風景が 微妙に似ているので 上ってる間に あの19歳の夏に戻るのだ。

 

実父の養母は 子供を産まなかった。 父を養子に迎え、 彼女の夫の 2人の娘も 自分の子どものようにかわいがり、果てや 夫の離婚相手の 息子まで 我が子のようにかわいがっていた。 その恩恵が私なんかにも来ていて その 子供たち、つまり 富美子伯母 や おじさん そして 末の つたこ 伯母さんまで 私のことを本当の姪っ子のようにかわいがってくれた。

 

時代が変わり 私にもそういった 姪っ子 甥っ子がいるが なるべく 心優しく せっしてあげよう と勤めている。

ものがあふれる世の中で、 物か必要とされてるものはないかもしれないが、 先日 甥っ子に将来のことについて 相談された。 怪我をしてサッカー選手の道をあきらめた 彼に 今 空虚感が襲っているという。 私は 彼の話を辛抱強く聞き、 今から なにが 彼にとって 面白そうなのかを 一緒に探してあげた。

 

ドイツ人の男の子は 少しはにかみながら こんなに 大人に話を聞いてもらったのは初めてだと 丁寧にお礼を言い、 去っていく。

傍らでは 彼の母親が 携帯をはなさずに SNS なんかに見入っている。 その横では 彼の父親 も同じくだりだ。

 

外の インスタグラムを見るよりも TIKTOK を スクロールするよりも 時には 人間に帰って 話を聞いてあげるということが 子供たちには必要だ。 そう 昔気質の私には思えるのだが、これを読んでくださってるあなたはどう思われますか

 

30年前の 暑い 金沢での がめざが が思い出される今日この頃だ。