友人の Hさんは 美しいものが大好きだ。 テキスタイルデザイナーを仕事にして日々忙しく働いてる彼女には 26歳になる息子さんがいる。 彼は スイスで アイスホッケーの選手として活躍している。 

 

わたしの息子も もし生きていたら 同い年だ。

 

スイス で 家族と週末を過ごしてきた  H さんは誇らしげに 息子さんの写真を送ってきた。 モデルさんですか とでも言いたくなるような 素敵な その姿は うちの息子がまだ生きていたらと その年月の速さを感じさせるものだった。

 

ドイツには ご主人の仕事の都合で やってきた。その前はNew York で25年もの間すごしてきた H さん。とてもきれいなNew York 訛りを話す美人さんだ。 こちらには ご主人の都合で引っ越してきたにもかかわらず、 また 今度はスイスに引っ越すことになる。というのもご主人の失業そして ドイツでは見つけられなかった仕事を穴埋めするために 息子を頼ってのスイス行きだ。

 

テキスタイルデザイナーの仕事はこちらドイツではなかなか見つからず、その間空港で働くやら 何やらいろんな仕事を経てやっとドイツで見つけた 今のポジションだ。 にもかかわらず、今度はまたもやご主人の都合でスイスで職探しをしなければいけない。

 

そこまで惚れられている ご主人は 男みょうりに尽きるだろう。そんな 愛されている真の通った美人のH さん実はとても大切にしているものが 二つほどある。一つは 彼女の20歳の誕生日にご主人から送られた カルチェの時計。 私と同じ世代なので、もう30年以上愛用しているものだ。 その時計は ご主人との出会いそして 結婚、子供たちとの出産といろんなものを見てきている 彼女にとっては欠かせない相棒だ。

 

もう一つはアンティークのダイヤモンド。婚約指輪に もらったその指輪 は 当時 目が飛び出るほどの高価なもので、 ご主人かなり無理をして購入したそうだ。 その指輪が私のものにとてもよく似ていて ふたりで顔を見合わせて笑ったことがある。

 

私たちのダイヤの指輪は 1900から10年くらいの期間に作られた いわばEdwardian 朝の もので、とても精巧に作られている。 それは Art Nouveau  が栄えた 美しい時代で、調和のとれたその美しさはいまも 人の心を魅了する。

 

 

19歳の時に 最初の婚約指輪を贈られた私には ある 一定のダイヤモンドに対する 憧れと規定というものが存在していた。

 

当時の婚約していた彼は 鉄道成金の孫息子に生まれ、 彼のお母さんの選んだそのダイヤモンドの新品指輪は 当時の私にとってはあまりにも不釣り合いなものだった。毎日、一生 身に着けるものなのに、自分で選べなかったということそして私の好みとは正反対の仰々しいそのダイヤモンドはついに日の目を見ることがなかった。

 

 

 

何年か後に 英国の娘ができて 父親の Simon に サファイアの指輪でも買おうか と言われたとき、即座に私は 赤ちゃんのベットを代わりに買いましょう とその申し出を断った。

 

そして生きてて半世紀、 まさかもう一人の男性に指輪を買いたいんだけどと 言われるとは想像もしていなかった。

 

ドイツでの結婚の法的書類にいろいろお金の かかることを承知していた私は 指輪買わなくていいよと 少し軽めに断った。

 

すると、どうだろう、頑固で堅気な彼は 少し泣きそうな顔そしながら でも君には僕の買ったダイヤモンドを付けてほしいんだ。と懇願されることになる。 

長い探索の結果たどり着いた 今のダイヤモンドは ダブリンの片隅で ひっそり私を待っていた。

 

その値段にびっくりしながらも二つ返事で 即金 この指輪を買ってくれた 夫に敬意を表すつもりで毎日仕事場以外でつけるようにしている。

 

私は 装飾品というものは これしかつけないので、よく友人に 質問されるのが面白い。

 

私にとってダイヤモンドだけというのは私の覚悟の表れだ。

 

友人のH さんもしかりで、彼女の指輪と時計には彼女の決心の深さがうかがわれる。

それは夫にどこまでもついてゆくという固い意志の表れで、私たちにはどこか似た性質が 寄り添う。

 

そんな彼女がいつも口にしている言葉が、私は 美しいものを集めるのが好きなの。 という名言だ。 その美しいものは ダイヤモンドかもしれないし、人の心かもしれない。

 

聞いている私も同感だ。こんな友人と夫、そして美しいダイヤモンドに囲まれて 私は毎日至福の時を過ごす。