写し絵 | 毒を持つ人

わたしから横取りした趣味友で周りをかため、「権威」である精神科医の

手厚い保護と擁護をうけて、自分の攻撃の優位性と正当性を手にしたモラさん。

攻撃は、ますますヒートしていきました。

その様は、わたしを叩いて叩いて、叩き潰して、ズタズタにしても、

まだ飽きないといったようでした。


モラさんは、自分が流した悪評でターゲットが苦しんだり

破滅するのを、共犯にひきこんだ大勢と見物しながら、

「不幸なコトンさんと違い、わたしは幸せ者です」

「わたしの言うとおりにしないから、コトンさんは滅びた」

うっとりと満ち足りたように言っていました。

普通では考えられない神経です。

それほどに、

やった!

コトンさんを集団の圧力で叩き潰してやれた! 

わたしはコトンさんから取り上げた人間関係の中で

被害者として手厚く保護され、同情されている!

成功だ!

この喜びは強い、ということでしょうか。


今でも、あの独特の笑顔を思い出します。

他人をチェックする蛇の目をしているのに、媚るように

ぐにゃっと笑っているのです。

笑っているのに、能面のようであり、無表情のようでいて、そこに彼女の

他人の弱みを探る針のような毒が、じわじわと刷かれているような、

そんな顔でした。

このお面は、いつでも自分を有利にするため、または同情をひくために

「かなしみの面」「反省の面」

「救済者の面」

に早変わります。

わたし、いま、反省しています。

パフォーマンスする時は、反省アピールをしながら、

とことんその役に徹します。


彼女がいちばん欲しかったポジションは、他人に寄生して

「功労者」

として認められることではなかったかと思ったりもします。

全然お呼びではないのに、周囲に出没して一生懸命

わたしに影響を与えようとし、

「コトンさんは、わたしが指導しました」

まるで自分のおかげのように、他人に思わせていました。

わたしから取り上げたもので飾った自分を、あちらでもこちらでも

ご披露するにとどまらず、モラさんは、もしかしたら本気で、

わたしになり変っていたのかもしれません。


モラさんに付きまとわれている間、わたしは、誰か見るひとが

見れば分かってくれるだろうと、甘い期待をしていました。

こつこつと、寡黙に、バカみたいに地道に作業することは

わたしの天分・得意とするところでしたから、それに没頭していれば

いつか、モラさんに関係なく、わたしの創るものを

好きになってくれる人が、いるだろうと。

万人に好かれることは元より無理でも、ごく少数の人との

気の合った楽しい交流、モラさんに関係なく、もう一度出来るだろうと。



その人は、現れました。


今でも甘苦い思いで思い返します。

その人は、本当に、現れてくれたのです。

わたしの創るものをとてもよく理解してくれ、アドバイスも

押し付けることなく、独特の優しさと配慮をもって、控えめに提示してくれ、

わたしがそれに乗っても、乗らなくとも、何も言わないで、

いつもやる気の出るような追い風を送ってくれる、よい人でした。

それだけでなく、わたしの為に(とおっしゃっていました)、

わたしの創るものを紹介してくれるサイトまで、立ち上げてくれました。

昔の作品も発掘し、丁寧な感想を寄せてくれ、そのどれについても

「わたしわたし」と出しゃばることなく、心地のよい塩梅で、スマートでした。


わたしは感謝をこめて、言いました。

「いつも背中をおして下さって、ありがとうございます」

認めてもらえる嬉しさは、モラさんのせいで交流を断ち切られていた

わたしには、ひとしおでした。


幸福な時間は、ながくは続きませんでした。

その人が、わたしの為に創ってくれたサイト。

(とおっしゃっていましたが、わたしなど

かすんでしまうほど、他の方々のレベルが高い紹介サイトでした)

これが仇になりました。

モラさんが、あっさり割り出してしまったのです。


モラさんに知られないように、わたしはいつも、その人のことを

イニシャルで表記し、どこの誰、と分からないように気をつけていました。

ところが、サイトでわたしの作品が紹介されることにより、モラさんにも

その人の連絡先が知れてしまったのです。


それは、一瞬のことでした。


昨日まで楽しくお話していたその方が、次の日、もういなかったのです。

サイトも、放置されたまま、何のおしらせも出ませんでした。

あれから数年が経ちますが、

こらがモラさんの関与であることを、わたしは確信しています。

その人が姿を消す直前、モラさんに悪評を吹き込まれた方々が

一様にみせる態度の急変と、”あること”を、その人は困惑しながら、

わたしに求め、訊いてきたからです。


その、”あること”、というのは作品に関することなのですが、

モラさんに取り込まれたメッセンジャーたちは、必ず、それを

言ってきました。

それが何かといえば、『こうしろああしろ』です。

あなたの作品に共同創作者として、わたしの足跡(痕跡)を

残したいから、そうしなさい、です。


困惑しながらそれをわたしに伝えた直後、その人は

何も言わずに、サイトを放置し、姿を消してしまいました。

賢い方だったと思います。

わたしよりもずっと年上で、お子さまを育て上げた女性でしたから、

わけのわからないトラブルからは、一切身を引くことが

最善であることを、学ばれていたのだと思います。


わたしは苦心しながら、事情説明のメールを書いて

その人に送りましたが、返信はありませんでした。

それでいいと思います。

おそらくその方は、お子さまを育てる過程で、似たような

境界例トラブルも目にしてきたことでしょうし、もしかしたら

ご自身にも、境界例に粘着されたトラウマがあったのでしょう。

もし仮に、モラさんの言うことを全て信じたのだとしても、

わたしには感謝の気持ちしかなく、仕方がなかったのだと思っています。


モラさんは、悪口は言いません。

あくまでも印象操作です。

刷り込まれた相手が、自動的に

「コトンさんは何に傷つくか分からない人なんだ……」

「プライドが高く、わたしたちを見下しているんだ……」

そう思うような印象を

悪口を言うことなく、あちらにもこちらにも、滴り落としていっただけです。

毒とも思えぬ、一滴・二滴の毒。

単純ですが、その毒は、それを刷り込まれた人間の中で、その人間が

もっとも嫌悪する人間像と重なり合って化学変化し、猛毒に変わるように

できていました。


モラさんは決して自分の手は汚しません。

かならず他人を巻き込み、口うまく彼らを洗脳した上で、

強い憎しみ、軽蔑、攻撃本能を、巻き込んだ人たちの内に

焚きつけ、彼らを操って、ターゲットを攻撃するのです。

上記の方が思い遣りをもって身をひき、去ったこと。

これすら、モラさんにとっては使えるカードでした。

ほら、

コトンさんの異常性に気づいて、あんなに素晴らしい人も

コトンさんに攻撃され、気の毒にも、コトンさんの犠牲になったようです。

善人面でそう言いふらせる材料でした。


ありとあらゆる手を打ち、モラさんはわたしを潰しました。

精神科医やギャラリーの手厚い保護と援護を受けて、モラさんは

「わたしはコトンさんと違い認められなくてもいい、

自分の好きなことを精いっぱい、謙虚に、地道に、真面目に毎日やっています。

好きなことを淡々とやっています。

自分が認められないからって狂ってしまったコトンさんに逆恨みされても、憎まれても、

好きなことに打ち込み、こつこつ自分を磨いています」

アピールをしています。


それはかつて、わたしが黙々とやっていたその姿の、写し絵のようです。