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きつねのおきゃくさま

四月だし、何か新しいこと始めたいな~と、今更ながら初めてblogに挑戦☆

新鮮で楽しく人にも環境にも恵まれて、人生で稀にみるほど…いや初めてなくらい安定して穏やかな日々で四分の一年が過ぎました。感謝たっぷり。
 
恵まれすぎて、ファイヤー精神を削がれてしまいました。控え目…というか空気のように黒子になり、可愛いといわれすぎてタレント的にならないようあまりニコニコし過ぎず、仕事ですから感情をあまりのせないように意識しています。私の特性を敢えて消して、ひたすら不得意なところにすべての意識を注力し、伸ばそうとしております。
 
でも、やり過ぎたか、初めて心が通っていない気がする。今までどうやってたのかもう思い出せない。
 
めちゃくちゃ苦しいこととかはないけど、やっぱり心配な点としては、一つのことしか私の脳ミソは注視できないらしく、一つのことを考えていると、他の情報が視覚や聴覚に入っていても、意味を認知していないように世界が見えているらしいどうやら。
 
他人の知覚を体験したことないから解らんが、何か違うらしいことは解る。とりあえず昔言われていた、木を見て森を見ずと言われていたことがよくよく解る。「木をみること」をしていたら、他のものを同時に知覚することができないんだもの。
 
つまり、現実をきちんと全体像を理解・知覚できないらしい。
 
あとは、負の幻聴に苛まれる。わーい、ベートーベンと一緒!(爆)
幻聴なのか、本当にそういう音声なのかが解らんので、対処としてはスルーという方法をとっている。
世界の音声が全部、私に話し掛けているように、関連しているように知覚されてしまう。これも振り切ってスルー中。
 
無駄な情報が何もキャッチされず、今やるべきことに完全に没頭していて、とてもベストコンディションだし、いい人生を生きていると思うし、ストレスもベストサイズ。今までが大きすぎたせいか、ストレスが少なすぎるようにも体感される。
 
あと、短期記憶が全く入らなくてこまっている。これは病的なくらい健忘症。これは自身を苛めぬいたいつかのシーズンの弊害かもしれん。ごめんよ私。
 
今の感覚としては、耳が聞こえない人が、周りの人が話している口の動きとかを見て、口の形を何度も聞いて真似してしゃべり方を習っている感じ。
 
とりあえず、こういう初めての穏やか系の毎日もしあわせ~★と私思えるんだって発見もしあわせなのであります!
 
素敵な毎日を重ねて素敵な人生をクリエイトきつねのおきゃくさま-10A0078.gifきつねのおきゃくさま-10A0271.gif
まず、この度の環境変化では…

ちょうど一年前で最高段階まで登りきって、前のスタイルが一段落!したので、

ひたすらいつもとは全く別のパタンを始めています。

今の環境としては、
落ち着いた静かな環境
自由に課題を設定して
没頭して取り組む
偉い方と素敵な女性
心地よくバランスよく
不得意分野を鍛える

そんなかんじでしょうか。

一先ず3ヶ月は、仕事を覚える、生活を馴染ませる、取り敢えずやってみる、みたいな感じで割とノープランでやってきました。

↓↓↓

次の3ヶ月は、
・前日中に準備を完璧にしておく
→やり残しを作らない
→日中集中力を途切れささない
・人柄をもっと把握する、周りの方と繋がりを深める→笑顔
・朝早く行く
→7時出発
・当日は堂々と雰囲気や気配りや、事務的なこと以上のその先のことに使えるようにしておく
→?
・人生全体のコンピテンシーも仕事に有用に働くよう、常識のある素敵な落ち着いた女性を目指す!
・生活を充実させる
→家での生活も綺麗に美しく行う
・将来設計をする
先日、むかし大切だったような気がする人に会った。

すごく楽しみに思っていたけど、会ったら実際、もう目も合わせられなくて、ご挨拶、する勇気も気力も出ず、どんな表情を用意すればよいかも考えられず狼狽する。そして…、どんなだったか思い出せなかった。もう何も感じられなかった。そんな自分が哀しくて、乱れて帰り道たくさん泣いた。時が経ったことを知る。

結局、どんな方だったのかなぁ。何を思っていたのかな。総て知ってあなたは何を感じたかしら。もう聴く術もなく、気力もない。とにかく大切で、お陰で生かされた。

私は、少し病気で、どうやら少しまだらに記憶を無くしているらしいことを、あまり聞き取れない周囲の雑音からかろうじて推測する。そして、何か…正しくいろいろを察知することができないらしい。

それから、たくさんよかれと思ってしたことも、他方には悪く捉えられてしまったことを知り、ひそかに失望する。もう、意見しようとすら思わない。こうやって、人は失望を重ね諦念を得るのかしら。いろいろと下らなく思える。


人と、うまく心を通わせられないようだ。独特な人間関係のイメージをもっているみたい。人といても、何か気持ちの繋がりを通せない。

何か、ひとつのことに取り組んでいると、他の雑音や視覚情報が…、皆さんのように認知に入ってこないようだ。それが、様々の引き金になっているのではないかと思うようになっている。

自意識過剰なのかもしれないが、複数から好奇の目を寄せて頂いていて、私のしょうもない一挙手一挙手が観察されているような気がする。もう慣れたけど。それで、何かしら、構って知的に遊んで頂いてる感じ。

私の、器の内側に存在していると、うまく客観的に事態を把握することができないし、過去を正しくネーミングすることもできない。それにそういったものは、きっと…、正しさよりも、自由にそれぞれが解釈していいんだと思ってる。

かろうじてたまに聞こえる空気と言われる雑音やらから捉えるには、私が思う私像や私の趣向と少し離れたところに、外から見た私像があるようだ。それでもフィットせずとも、その外から見た私像に配慮を入れて下さっているような感じがして、違うんだけどもお気持ちはありがたい。

むかしあった様々への興味が、いつの間にか薄れ、私はもう違う人間になったみたい。本当に、生きていると言うのかなぁ。

激しい生活から、柔らかな生活に今は推移させていて、それと共に、惹き合う人種も変えた。そんな変化は優しく刺激的で、人生を彩る。