考えることがどうやら趣味らしい。常に頭が自動的に思考し続けているのだ。無意識で。勝手によく自分でもコレと把握していないテーマについて考えているようだ。常に。
日常的なところに、一つ一つ頭のよい思考はできないし、場の状況なども理解できるような適切な思考の切り替えはできないのだが、
どうやら私の脳の個性は、その代わり常に、何か自分でもそれと意識していないことも含めて長期に渡る自動思考を昼も夜も、春夏秋冬自動思考し続けているようだ。すべてを忘れるほど。
このテーマについて考える★ とかじゃなくて、何か無意識に疑問に思うテーマが軸に横たわっていて、日常生活で出逢うすべての人や環境や事柄や音声や芸術などが、サブリミナルのように思考に添付されていく。
よくも日々出逢うすべてのことがこれほど、私の思考を進めるヒントになるようなものばかりだと感心するし、みんな世界は、私のために何か準備してくれているのではないか、協力してくれている、と錯覚を起こしそうだ。まるで世界が私の遊具のよう。
毎日の全てが、宇宙のしくみの、物事の本質を見極めることができるような部類の思考を育むような、鍛えるようなインスピレーションのように見える。純粋に学ぶことが楽しいのだ。素晴らしいことでしょう?
大きなパズルを与えられて、私は日々出逢ったところからヒントを得て思考し、毎日少しずつ、色んな方向から、しかし確実にパズルを完成させていっているのだ。
学問とはすべて、先人たちが宇宙の仕組みを何とか解き明かそうと試みて派生したものでしょう。それを確信している。
まさか、お金持ちになるためや、よい学校にゆくための学問など、間違ってはいないかもしれないが、本質ではないと思うし、美しくないと思う。
今私はあらためて、本当の意味での清く正しく美しくや、真・善・美を信仰している。