ゆめ | きつねのおきゃくさま

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四月だし、何か新しいこと始めたいな~と、今更ながら初めてblogに挑戦☆

健全な心身には、
素敵なゆめが自然と沸き上がる。感謝。素晴らしい。心身が健康だと、世界も美しく見える。世界は、現実は、自己の内面の投影なのだと思います。

私は、潜在的な欲求であった自己超越を頂いたことで、様々なそれまでの全ての苦悩から一気に解放されましたし、そこまでの最後の段階で宇宙の仕組みを理解するような洞察も得ました。そして今は、ひたすらの心の平穏と幸福に満たされていて、何もなくても快適さを味わって日常を送れています。が、それと引き換えに、永遠に何かの意識が消えてしまった気がするのです。人形姫のお話のように。

ずっと手に入れたいと恐らく願い続けてきた自己肯定感を手にしたのだけれど、そのことで、何かに対して動じなくなりすぎている。痛みを、感じなくなっているような気がするのです。麻痺でしょうか。何を言われても平気で、というより興味がないというか、それか理解できないというか、雑音程度にしか認識できなくなっているような気がするのです。味覚障害のようなイメージと言いましょうか。例えば、カレーを食べていることの認識や、ドロッとした食感はわかるけど、味が解らなくなってしっまったという、そんな感じです。他人事のように、どこか別の世界の話のように私には認識されているのです。目も耳も口も開いているし、世界に立っているのに、そこから入力される刺激を適切に処理する機能が働かないのです。見た目からは解らないのです。良し悪し。見た目でハードルが上がってしまったら、一気にがっかりさせてしまうかもしれないし。真っ暗闇の中で独りぼっち。それだけ私は、自分を無茶苦茶に扱ってしまっていたということでしょうか。いえ、もう生まれつき
の脳機能の障害でしょうか。知能は高めなので、なんかへんだと思いながらも、すごく我慢に我慢を重ねて普通ぽく見せる努力を血の滲む努力を重ねてきていることが、私のタフさの基になっているのかと思ったりします。

色んな方々に、異常ともいえるほど、愛情を注いできて頂いた半生だったと思うし、私も私で失敗もありつつも、非常に人生というものを真摯に受け止めて誰よりも真剣に生きてきたと思います。今後も、ダメなとこもありますが、その生き方の真剣さという姿勢は、お世話になった皆さんを裏切らないようにいつも保ち、何かひとつお洒落に社会的にも自分の今後にも繋がるような一仕事をしてから、そして妻も母も女もして、どんどん魅力的な女性に自分を育てていきたい。

真剣さが、人間としての高潔さが、顔に表情に出てくるようになりたい。自分を極めていくことで、社会にプラスの影響を与えられるようになりたい。込められた愛情を、メッセージを、命のリレーのように、伝えてゆけるようになりたい。頂いた天命を、ギフトを、何とか開花させるように無理のない程度に努力をしたい。

キラキラしたことばかりで、ちっとも実が伴っていないときっと思われているだろうことは、自覚しているけれど、内面で温める想いまでも、美しいものに徹底していたい。なぜなら、想いは具現化することを身をもって学んだからだ。願い、夢、祈り…強く強く思えば実現する。私はいいことも悪いことも、描いたことは今まで無意識にほぼ全て実現してきている。凄く気持ちが強く意志も強いんだと思う。想いまでも責任を及ばせ綺麗にしていたい。

人生に、もう一度、意欲的に取り組んでいきたい。心からピュアに、一度自己超越を機会に死んだ身として、きちんと世の中のために自分の学んできたこと、経験させてきてもらったこと、受けてきた愛情、それらを基盤に、生かして自分の命を燃やし尽くしたい。本当に正しい想いならば、神はきっと味方してくれると確信しているし、自分がやるべきことをやり終えたところで呼び戻してくださるだろうから。こういう姿勢が、お世話になった…いい人悪い人も、大好きな人たちに対するまず最初の返礼になるかと思っている。

芸術作品のように、命がけで、自分の人生を創り上げて、それに触れた人たちが様々な解釈を喚起されながら心を動かされるような、そんな光を放つような魅力的な生き方をしたい。