スレた私 | きつねのおきゃくさま

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四月だし、何か新しいこと始めたいな~と、今更ながら初めてblogに挑戦☆

本当に綺麗で純粋で汚れなくまっすぐ大切に育ててもらったオツムの足りない子どもな私だったのに、

たくさんの汚い大人や強欲な権力欲にまみれた男や社会の利害、思惑に利用されもみくちゃにされ、知らなくてよい事まで知り、深い深い哀しみと、人を信用できない大人になった。

何も解らないままに、気付けば全く対岸に。希少な僅かばかりの魅力と神秘体験と引き換えに、人魚姫。わかりあえない人たちがたくさんになっていた。

ずっといつも沈黙と反発をしていたママは、それでも私のことなんて何でも全部わかるんだなぁとたまげる。

紆余曲折で、世間一般が羨望するものなんて、特に価値がないということを体感する。我々みな、早かれ遅かれ、棺桶に入るのだし、ちなみに棺桶には何にも持ってゆけないのだし。本当に大切なものを内観じっくりして考えたら、健康と、目標と、より良い人間関係だけ。それを同世代に言ったら、なんだが老人みたいだと言われたけど、本当のことだと悟っている。

本当のことなのに、みんなになかなか理解してもらえず、異端かばか者扱いされる。その気持ちも、自身過去を振り返ってみて、客観的にわかるけどさ。みんな私と同じ経験をしてきたら、私と同じように考えると思うよ。

私は要領よくできないから、たくさんたくさん我慢して詰め込んで、疲れはてていたと思う。表面上のことでのものや、短期的な積み立ての自信は脆い。いつも一番簡単な、コツコツとした積み上げで自信をつけて、人生のいつも、幸せでありたい。

惹き付け合う人って、似ていたり共感できたり、価値観や目標が同じだったり、魂や精神レベルが等しかったりするときく。だからこそ、いい人たちと関係を築きたいから、私もそのためにもっと自分を成長させなくてはいけないのだと思う。私の目的は、人としての成長と、素晴らしい人との関係。そしてそれらが交わることで、何らかの化学反応が起こればいいかなと。

生きている間中、少々の揺らぎはあったとしても、いつも生きているだけで、たったそれだけで幸福感に満たされていたい。宇宙の摂理を体感すると、昔から一般的に言われていることや常識、良識は、本当に理にかなっている、多くの先人や賢人の知恵のつまった、おおよそ正しいものであることがわかる。

例えば、愛とか、美しい、とか努力とか、そういったきれいごとが、(簡単に表面上手に入れるだけでは、本質を捉えられていない)どれだけ理にかなっていることかよくわかる。そしてどれだけ難しいことかも。

まぁ色々次から次へとあるけども、無理せずきちんと自分の人生を進んでゆくしかない。途中また、たくさんの激しい気持ちを味わうのかもしれないけれど、自分の尊厳だけはいつも失わずに、全部自分の人間としての魅力の肥やしとしてゆけたら。いいこともわるいことですらも。

いま幸せなことは、ゼロ地点まできて、少しだけ余裕ができ、少しだけ自信もつき、雑音が全く気にならないというか興味もてないというか、何してんのかなー?程度にしか思わなくなったところ。それが幸せ。それから愛をもって見つめられる、偶然双子みたいな存在がいたことが本当に嬉しいことで心の勇気。どう思っているとか事実はどうだとかじゃなくて、ただその存在が、私にとって心地よいインスピレーションと波動と正のエネルギーをくれる。だからそれだけで、何があっても平穏な気持ちでいられる。それを与えてくれた神に感謝しているし、私は私なりに遠くで大切にしたい。

人と違っていたり、突出していたり、著しく欠落しているところがあるせいで、たくさん批判的に言われたりするのだけれども、、、ちょっと一般的なやり方とは違うのかもしれないけど、本質的な根源では、私事を横に置いても本当に相手のことをきちんと考えていることは誇れる。根源を何とか修正してあげたいとこめる想いゆえに、小さなたくさんの犠牲を出してしまうんだ。。

私は幸せに生きてゆきたいし、皆もそれぞれの幸せであって欲しいと願っている。

歳を重ねながら、目まぐるしく考えや価値観が変化していっている。これからもどんどん変わってゆくのかもしれないが、一度きりの人生ということを忘れないで生きたい。たくさんの尊い出会いと、尊い経験と、尊い想いを煌めかせてゆきたい。それでこそ魅力的になれると思うから。魅力って大事。人間が子孫を繋いでゆく生物体である以上、何よりも、ヒエラルキーのてっぺんに魅力なんだと思う。