・  1985年 9歳(4年生)性的虐待、祖母死亡、家出、引っ越し

・  性的虐待

 暖かい日。兄(高1)の部屋に呼び出され階段を昇る。行くと私の部屋へ移動させられる。私に兄はこう言う。「パンツぬげ」命令が下ったので言うことを聞いた。私は下着を脱いだ。そして兄は私を椅子に座らせると自分の指を私の性器に入れ、指を動かした。なにをどんな風にどのくらいの時間何をされていたのか全ては覚えておらず、一部は記憶が消えてしまったかもしれないが、この場面だけはよく覚えている。兄は私の性器をいじりながら興奮して言った「気もちいいか」そしてもっと、もっといじった。

気づくと兄は私のベッドで仰向けになり自分の性器を出していた。そしてそれをまた兄は自分でいじった。私を見て。兄の様子がおかしくなり、いったいどうしたのか分からなかったが、兄はそのまま性器をいじり続け白い液体をそこから出した。吐き気をもよおした私はベランダの戸を開けて風に当たった。本当に吐き気がした。嘔吐したかは覚えていない。兄は今度ズボンを上げてベランダの前に立っている私に背後から抱きついてきた。離してほしかったが露骨に反抗すると叩かれたり言葉でいじめるので、我慢した。「気持ち悪い」と言ったら「大丈夫か」と抱きしめて母に言うなとだけ言った。直後、豹変し兄は自室に帰って行った。さっきまでと正反対に、私を邪険にして。何が起っているのか恐ろしく理解に苦しんだ。とにかく何だったのか、何がおきたのか全く分からなかった。母に言ったら兄が叱られる気がした。可哀想なので言わなかった。

この日だけでこういうことが済んだのか、時々あったのか分からない。どの程度何をされたのか分からない。しかし、兄の性器に触らせられたような気がしないでもない。記憶がない。そしてこれほど辛い思い出も他にない。

 

 ・祖母死亡

 冬の晩。風呂場から「アタマガイタイ」と狂ったように叫んだのは祖母だった。

 母は救急車を呼ぼうとするがみっともないと祖父。またけんか。結局救急車が来て祖母を乗せて行った。くも膜下出血。植物状態の祖母。祖父は酒を飲んで病室までやってきて言った「はよ死ねや」

 点滴や機械につながれた祖母は何も食べない。心配で、私は自分の食べていた菓子パンを祖母の唇に押し付けた。「ばあちゃんたべれないの?」泣きながら菓子パンを祖母の唇に押し付けた。「ばあちゃん食べて」少し微笑んで見えた。大好きなばあちゃん。しかし数週間後死亡。

 

・  家出

 祖母が亡くなって葬儀をあげた晩。悲しみのやり場がなかったのか、祖父は日本酒を飲んでいた。なにやら母と口論に。

記憶は飛んで……親戚の家。わたしたち家族は祖父を置いて親戚の家に。5日間ほど泊まったろうか。私はおりこうさん、完璧なおりこうさん。無口で大人の邪魔にならないように。ずっとここにいるわけにいかない。小学校へもやらなくてはならないし。大人の会話。とりあえず小学校だけは通い、放課後は知り合いのおばさんの家で迎えを待った。

・  引っ越し

 自宅近くのアパートを借りて両親、兄、私の4人で暮らす(3ヶ月)

アパートにて兄が便でトイレを詰まらせ、自分は汚くて触れないからと私を呼び、便の浮いたトイレの中に手を入れなければならない状況に。知恵がわかず他の手段を考えられなかったがもう一度、と、流したら流れて難を逃れた。神さまのおかげと感じた。

この間けんかはなかった。夏休み中は昼間祖父の家に。祖父は会社で設計士として働いていたが昼休みには「寂しくないか」とかならず電話をくれた。マルチーズは連れていけなかったから。私は犬と留守番をした。

 アパートでは肩身が狭く、一生懸命近所の子どもの世話をした。

 兄は鍵をかけて私を入れてくれない。土砂降りの中親の帰りを何時間も待った。

居場所が無く私は邪魔だと思ったので、なるべくアパートにいなくていいように合唱部に入った。そうすれば帰りが遅くなるから。

 母は閉め出されている私を見て住宅購入の決意を固めた。

 新しい家を近所に買った。この頃から酷使が始まった。最初は家事の手伝いと30歳頃まで続く母の肩もみ2時間。その他内容はゴミ捨て、風呂掃除、皿洗い、生ゴミの始末とそのネット替えなど、お酌に始まりどんなに具合が悪くてもしなければならないようになって行った。母の口癖「命令です!」その度、背筋が凍りついた。