昨日は、

疲れ果ててブログがほぼ書けず、


今日は、

ブログが途中で消えた(泣)



まあ、きっと必要ではなかったのでしょう。

(と、いうことにしておく)




この土日は久しぶりの連休。




しっかり学び、

しっかり休む週末にしようっと。




学びの何が良いかと言うと、

自分の経験だけでは得られない知識を

人の体験を通して得られること。




新たな視点や考え方を知り、

人生をより深く味わえること。



しあわせに近づけること。







「しあわせ」をあえて公式にすると、

(ぼくの解釈)



「しあわせだなぁ〜」と味わう感覚の


 回数×深さ×長さ


 に比例するんじゃないかな?





しあわせだなぁ〜


・・が口癖になってたら、

その人の人生は絶対にしあわせですよね。





連日猛暑が続いてます。


この暑さに身体がついていけず。

(バテました)


ブログはお休み。


みなさんも、

体調にはお気をつけください。







AIが出した回答は、後で貼っておきますね、




ぼくは、空想をよくします。

子どもの頃は、
四六時中、空想に耽っていました。


と言うより、意思とは関係なく、
ふと、空想に入り込むと
なかなか抜けられません。


そのせいで生活面は大変でした。



意識が飛んでしまう。
(魂が抜けるように)

自分はダメで恥ずかしい奴と認定。


自分という存在を隠すようになりました。



ただ、空想は閃きを
心に映してくれることもあります。



こういうことが、度々ありました。


みんなが問題解決に困っている時です。


空想が問題が良くなった状況を、
絵にして見せてくれるのです。



それは現状にはない、
違う未来の状況です。



映し出されたものを見て、
「こうすればいいのに」と思います。



でも、閃きも自分を隠すのと同じで、
人には伝えません。



この話は、以前も書いたことがあります。
(どこに書いたか忘れた)



今はこう思います。
空想から未来を知ることを才能として
認識していい。




空想に耽ることをバツ❌
にするか、


もしくは、
活かすべき才能として⭕️
にするか。



認識しだいでどちらにも行ける。



もちろん、
これからは⭕️を付けますよ。





多くの人は、
過去からここまでの実績を見ます。



ごく一部の方は、
ここから未来を知る人を、
興味をもって見てくれています。






さて、最初にAIに問いかけた、
空想は感覚か思考か?
の回答は次の通りです。


興味のある人はどうぞ↓



空想と感覚

結論から言うと、空想は一般的に感覚とは区別されますが、感覚的な要素を強く含んでいます。

  • 五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚) は、外界からの物理的な刺激を、私たちの体が持つ受容器を通して脳が処理することで生じるものです。例えば、リンゴを見れば「赤い」という視覚情報、かじれば「甘い」という味覚情報、といった具体的な刺激に基づいています。

  • 第六感 と呼ばれるものは、しばしば直感や予感、超感覚的知覚(ESP)などと関連付けられ、五感では捉えきれない情報を指すことが多いです。

これに対し、空想 は、現実の外部刺激を直接受けているわけではありません。心の中でイメージを創り出す行為であり、過去の記憶や経験、知識、感情などを再構築したり、全く新しいものを想像したりするものです。


空想は思考か、感覚か?

ご指摘の通り、空想は単なる思考とは少し異なります。

  • 思考 は、論理的な推論、分析、問題解決など、より構造化された精神活動を指すことが多いです。言葉や概念を用いて、体系的に情報を処理する側面が強いです。

  • 一方、空想 は、より自由で、感情的、そしてイメージを伴う性質が強いです。具体的な情景、音、香り、感触などを「脳内で体験する」ような側面があります。この点で、感覚的な要素が非常に強い と言えます。

例えば、おいしい料理を空想する時、その味や香りをまるで実際に体験しているかのように感じることがありますよね。あるいは、美しい風景を想像する時、その色合いや風の感触まで思い描くことができるかもしれません。これは、過去の感覚経験が脳内で再活性化されている状態と考えることができます。


空想の位置づけ

心理学や脳科学の観点からは、空想は「イメージ思考」や「想像力」といった概念で捉えられることが多いです。これらは、単なる五感のように外界の刺激に直接反応するものではありませんが、五感で得た情報を基にして構築され、時には五感に匹敵するほどの鮮やかさで心の中に現れることがあります。

したがって、空想は純粋な意味での「感覚」ではありませんが、思考の中でも特に「感覚的」な性質を持つ、非常に豊かな心の働きであると言えるでしょう。