昨日のブログに書いた

「しょぼいままでうまくいく」。



書きながら気づくことが多々ありました。


 

自分にもっと関心をもってもらいたいと思う。



そこで、自分の実力以上のものを見せて

相手の期待を膨らませる。


(盛る)




だけど、会ってみたら、

期待外れで相手はがっかりする。




そして、人が離れていく。

 

↑ここが恐怖のみなもとだ。





恐怖から逃れるために挑戦を先延ばしする。




そこには、

「素のままの自分じゃ人は来てくれない」

という悲しみが潜んでた。




ここに気づけたのが収穫。




自分にも、他人にも、

ウソをつかないとうまくいかないと思ってたわけだ。




だけど、ウソをつくのは後ろめたいし、

バレるのも怖い。



自分は、それはウソをついていると分かってるから。




しょぼいままでいいじゃん!



そう思ったら、すっかり肩の荷が降りた。




不思議なもので、しょぼくていいや!


と思うと心がどっしり安定してきた。



重心の高さがぐぐっと下におりる感じ。




頭でクヨクヨ考えていたものを、

腹でぐっと受けとめるかのように。




そして競争心よりも、

人の良いところを認められるようになる。




しょぼくていいとは、

卑屈になることじゃなく、



地位が高くても、低くても、

自分の価値は変わらないのだとわかること。



モノも、心も、安定した土台がいるものだ。



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そのことを気づけたのは、

心の中にあるものを外に出したから。



心の中にあるものは、

出してみて初めて認識できることもある。



「発信するのはいいことだ」




アクセスの数に関係なく、

これからも発信は続けよう。













「本当にやりたいことをやろう。

 周りの目を気にしないで。」

 

 

 

 

よく聞く言葉です。

 

 

 

 

 

そうは言っても簡単に変われません。

 

 

 

 

 

 

なぜなら、

「人の目を気にする」その行為には

人の根源的な望みがあるから。

 

 

 

 

 

 

 

こういうことです↓

 

 

 

 

人は「好かれたい」と思います。

 

 

 

「嫌われたくない」とも思います。

 

 

 

 

 

それ以上に強く思っているものがあって、

 

 

 

 

それは、

自分という存在を無きものとして扱わないで!

 

というもの。

 

 

 

 

シカトとか、無視とか、スルーされる、

 

とか言われるもの。

 

 

 

 

 

 

子どもがわざと親の前で悪いことをするのは、

怒られることで親の注意を向けたいから。

 

 

 

 

 

 

子どもでも無視されるより怒られる方を選ぶのです。

 

 

 

 

 

 

 

自分が居ないように扱われるのはとても悲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな悲しみを抱えたままの人は、

目に見えませんが、実は多くいそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しみを抱えている人は、

人生でつまづくことが多々あります。

 

 

 

 

 

 

 

それは挑戦しようとする時に起きます。

 

 

 

 

 

 

挑戦して成功すれば自分を認めてもらえます。

 

 

 

 

 

 

 

でも、失敗したら?

 

 

 

 

誰にも見向きもされない。。

 

 

 

 

取るに足りない奴として見られる。

 

 

 

 

悲しみがフラッシュバック。

 

 

 

 

 

 

 

挑戦しようとすると、

過去の悲しみが不安となってやってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、

 

挑戦を試みても踏みとどまってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで起きている心の状態はこういうこと。

 

 

 

 

 

 

結果を出せた時、

自分という存在を認めてもらえる。

 

 

 

 

 

すごいね!

 

 

成功したね!

 

 

 

 

称賛と同時に受け入れてもらえる。

 

 

 

 

 

 

でもそれで、

めでたしめでたしと思いきやその先は不安が待っている

 

 

 

 

 

 

 

成功したものの、

話してみたら実はしょぼい奴だとバレてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

また、一時的に成功したものの

成果が下がれば、再び取るに足らない者として扱われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「周りの目は気にしない方がいい」

 

と思っても心は何層も絡まっているから簡単じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ここで対処法を考えてみよう。

 

 

 

 

 

 

①人から雑な扱いをされたくない

 

 

 

②人生をより良くしたい(成功したい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな願望があるとします。

 

 

 

 

 

 

 

①人から雑な扱いをされたくない。

 

 

 

人からぞんざいに扱われるように感じるのは、

自分をぞんざいに扱っているから。

 

 

 

自分の扱い方を変えれば周りも変わる。

 

 

 

 

相手の目を気にした時、意識は相手の下へ潜ってしまう。

 

 

 

 

相手の意識はそれを察知し、

ぞんざいに扱っていいものとして振る舞ってくる。

 

 

 

 

 

起点は自分の意識にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②人生をより良くしたい(成功したい)

 

 

すごくなくてもうまくいっていい。

 

しょぼいままで成功すればいい。

 

 

 

 

 

すごい人がうまくいくと思い込んでいる。

 

しょぼいままでは成功しないと信じている。

 

 

 

 

 

それはたんなる思い込み。

 

 

 

 

 

 

 

しょぼいままでうまくいってる人もいる。

 

 

 

 

 

また、しょぼい方がメリットが多い。

 

 

 

 

 

 

実は、自分を大きく見せる必要なんてない。

 

 

「こんなんで成功できるんだ」と人々に自信を与える。

 

 

 

 

 

また周りにサポートする人が集まれば、その分、人の出番が増える。

 

 

 

 

 

 

 

「あなたってすごい人ですね」と言われたら気持ちがいいでしょう。

 

 

 

 

 

だけど、

 

称賛を受けて気持ちよくなるゴールもあるけど、

周りにいる人たちがうまくいく姿を見て気持ち良くなるというゴールもある。

 

 

 

 

 

前者だけでもいいけど、

前者・後者の両取りも可能。

 

 

 

 

遠慮することなく両取りすればよろし。

 

 

 

 

器の大きさによって何を得たいか、

何によって喜びを感じるか違いが表れる。

 

 

 

 

 

 

 

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しょぼいままの自分を好きになればいい。

 

 

しょぼいままでうまくいっていい。

 

 

 

そんな自分のままで周りから好かれていいし、

人から応援されて伸びて行けばいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒトは過去の体験を元にして、

ものごとを捉えますよね。

 

 

 

 

たとえば、

過去のある出来事によって、今が生きづらいとか。

 

 

 

 

なにかと過去に引っ張られます。

 

 

 

 

過去記憶に対して、

未来記憶というものもあります。

 

 

 

 

 

体験したわけじゃないけど

知っていることってありませんか?

 

 

 

 

 

ぼくにはあります。

 

 

 

 

 

周りがどれだけ反対しても、

未来記憶に引っ張られてついやってしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

過去も、未来も、

どちらも記憶によって人は体験をしていきます。

 

 

 

 

 

 

 

ぼくの場合、過去記憶はネガが多く含んでいます。

 

 

 

 

過去に引っ張られると、

起きてないことでも、先に不安を感じます。

 

 

 

 

起きてないのに不安だなんて損失です。

 

 

 

 

 

一方、未来記憶には一切ネガはありません。

 

 

 

 

 

まるで標語のように「明るい未来」です。

 

 

 

 

 

 

これまでぼくの頭は、

過去と未来を行ったり来たりしてたけど、

 

未来記憶を選んだらいいかも!

 

 

 

 

 

 

過去はダメージがあるけど、

未来には一切ない。

 

 

 

 

 

 

未来記憶に一択しようではないか。

 

 

 

 

 

 

 

すると、さっそくあるシンクロが起きました。

 

 

 

 

これは、Yesのサインに違いない。

 

 

 

 

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自分が行きたい道がどこかは、

本当は自分が知っていると言えるね。

 

(記憶に在るから)