砥鹿神社へお参り。
鹿さんの親子です。
さて、今日は秋分の日。
いかがお過ごしですか?
ぼくにいま来ているテーマは
「豊かさ」について。
さて、豊かさとは何でしょう?
手に入れたいもの?
なかなか手に入らないもの?
それとも既にあるもの?
人によって感じ方はさまざまです。
多くの人は豊かさを、
どれだけ所有しているかで測ります。
銀行の預金残高がいくらある、
とか
土地をどれだけもっている、
とか。
自分がどれだけ所有しているかで測ります。
もちろんそれも正しい見方だと思います。
前回掲載した山奥の川の写真。
山奥という高い場所にありながら、
水が豊富に流れてきます。
川に流れる豊富な水は見方によっては
豊かさとして捉えられますよね。
この豊かさはどこから運ばれてくるのでしょう?
上流を辿っていくと、流れがどこから運ばれるのか見ることができます。
辿って、辿って行くと源流までは
見ることはできます。
でも、そこから先は見えません。
その先はと言うと、
源流は地面が水を作るのではありません。
雨雲が山に雨を降らせ、
雨水が山のあちこちから湧き出てきます。
細い流れが太くなり、やがて川になります。
理科や社会で教わりましたね。
これと同じことが、
ぼくらの暮らしの周りにも起きています。
豊かさがどこから運ばれるか?
追っていくと、
あるところまでは目で見えます。
でも、あるところから先は目に見えません。
理科や社会でも教えてくれなかった。
でも、
人の想像力や好奇心を使って追って行くと、
見えてくるものがあります。
あぁ、なるほど、
そういう流れに乗って豊かさは
運ばれてくるか、、。
この感覚が腑に落ちると
豊かさの測り方が変わってきます。
いくら銀行に預金残高があるか?
とか、
どれだけ土地をもっているか?
など、
それだけが豊かさを表すものでは
ないと分かります。
(それらを包括しちゃいます)
豊かさの本質が分かると、
生み出し方のイメージが湧いてきました。
それまで信じていた
豊かさの作り方とは別ものです。
山に例えると、
水を生み出す雨雲のようなものは、
周りに存在しています。
ただし、それは雲のように
ものとしてはハッキリと見えません。
まるで雲を掴むような話でしょうか(笑)
もしかするとぼくらは、
豊かさを手に入れることばかり考えて、
すでに豊かさを見過ごしているのかもしれません。

