人も、モノも、適材適所があると思っています。


適材を適所に当ててこそ速やかに回るもの。


ただ、現実は必ずしもそうは行きません。


それどころか逆のケースもよくありますよね?


最近、この適材適所についてよく考える毎日です。


=====


話は変わりますが、

昔からぼくが見えているものについて

書こうと思います。


少し不思議な内容ですが

良ければお付き合いください。


ぼくは、実現可能な未来像が

見えることがあります。


ただそれは

「突拍子もないことを言ってる」

としか受けとめてもらえません。


結果は分かるのに

「どうやったらそうなるのか?」

のプロセスがうまく言えません。


そのせいで、

いつももどかしい思いをしてきました。


そういうことが続き、

伝えることを諦めるようになりました。


良いアイデアを思いついても、

「本当はこうなのになぁ」

と心の中で呟くのみ。


心の声は封印するようになりました。


でも、ごく稀にこういうことが起きます。


ぼくの言いたいことを

理解してくれる人が現れるのです。


ずっと理解されなかったため、

飛び上がるほど嬉しくなります。


また理解されることで

自分が存在していることを感じられます。


それは嬉しいのですが

ちょっとした弊害があります。


ぼく自身、その人に理解されることに

執着してしまうのです。


このままではよろしくないなぁ、

と思うところです。


自分の感情を理解しつつ、

自分の扱い方はしっかり方向づけを

しないといけませんね。


======


人は理解されることに

非常に強い気持ちが働きます。


その強さはここにも書いた通りです。


そこで思いました。


人に理解されたいと思っていた意識の向きを、

反転させたらいいんじゃないか。


最初に話した通り、

適材適所というものがあります。


自分を知り、

相手を知り、

取り巻く状況を知る。


その上で、

自分を活かせそうな場所へ、

自分を連れて行ってあげたらいいと思うんです。



そうすることで、

自分も喜び、

相手も喜び、

世間も喜ぶの三方良しになります。


お互いに、本来いるべき立ち位置に

自分を連れていってあげたいですね。