以前の仕事関係で、

住宅業界や防災関係の方から、

安全な家の建て方を学ばせていただきました。



日本は地震が多発します。

(今年はとくに)


彼らが言うには、

本当に安全に暮らすには、

建物だけでなく、

それを支える土台が大事だと言うのです。



家は土台がだいじと言うけど、

人にも同じことが言えるなぁと

つくづく思うこの頃です。



人生においての土台が脆弱だと、

自立して生きる事は困難です。



誰かに依存したり、

相手の顔色を伺ったりと、


常に自分より上に人を置いて、

その人の評価に一喜一憂してしまいます。



自分の安心や喜びは、

依存した人のあり様しだいだったのです。



依存すれば、

自分を生きているようで、

実は自分を生きていなかったと、

今は思います。



依存するようになったのは、

子供の頃に作った親との関係にあります。



大人になってからも、

昔の親子関係を引きずっていたのです。



心の奥には、

このような刷り込みがありました。



自分はダメな存在だから、

正しいことを知る人がいないと、

間違ったことをしてしまう。



間違えると大変なことが起きる!

という恐怖がありました。



自分はダメな存在だから、

正しさが分かる人が必要だ。



そんなぼくがしたことは、

正解を知ってそうな人を探し、

その人を崇め、敬い、

その人が絶対的な存在であるという依存。




もし、尊敬し崇める人の機嫌を損ねたら大変だ。


そうなったら突き放されないかと

不安でいっぱいでした。



↑この従属の構図は

母親との関係がそのまま一致します。



とにかく人生の土台が脆弱でした。


人のご機嫌しだいで

ぼくの感情はぐらつくのです。




自分の感情の揺れが、

その構造によって起きたのだと理解した時、

誰かに依存することから

降りようと思いました。



内面の変化に伴い、

ぼくの行動、言動も変わったかもしれません。



また、それによって、

人に対して礼儀知らすに見える

振る舞いがあったかと思います。



迷惑をかけたとすれば、

申し訳なく思います。



ただ、

時間はかかりましたが、

やっと自分の人生を生きる

スタートラインに立てたと思います。



依存ではなく、

また自分を誰かの下に自分を置くのではなく、

主体的に人生のハンドルを握る。



やりたかったことを、

自分に与えます。



これからもいろいろな人と関わり、

学ばしてもらいつつ、

互いを敬いフラットな関係を築けたら、

それがぼくの理想です。



長々と書きましたが、

今の気持ちをまとめてみました。