自分のことを分かってもらえる人がいたら、

すごく嬉しくなります。

 

 

苦労してきた自分を見てくれて、

 

労ってくれた。

認めてもくれた。

 

 

 

 

 

誰も見てくれなかった自分に気づいてくれるなんて

まるで奇跡のようです。

 

 

 

 

 

すごくありがたい存在。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、気をつけたいことがあります。

 

 

 

 

 

 

それは、

 

認めてくれた人にすがりがちになること。

 

 

 

 

 

もっと褒めて欲しい。

 

 

 

・・という気持ちがでまくります。

 

 

 

 

 

まるで麻〇のように憑りつかれます。

 

(やったことないけど)

 

 

 

 

 

 

そうなる根本的な原因は、

 

自分は足りてない

 

という不足感から来ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の存在を認めてないと、

満たされない気持ちを誰かに埋めてもらおうとする。

 

 

 

 

 

 

その人に依存してしまうのです。

 

 

 

 

 

 

依存させてくれる相手は、

その場は満たしてもらえます。

 

 

 

 

 

ただ、やがて再び心は乾きます。

 

 

 

常に乾いた心に水を注いでもらおうとします。

 

 

 

 

 

依存はよろしくありません。

 

 

 

 

 

 

 

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依存から脱するには、

 

誰かに満たしてもらうのではなく、

自分で満たすしかありません。

 

 

 

 

 

 

ここまでやってきた自分をしっかり認めよう。

 

 

 

 

本当によくやったよね。

 

 

人の見てないところで頑張ってきた。

 

 

何度も心が折れたけど立ち上がった。

 

 

 

ここまで生きてきた自分にありがとう。

 

 

 

 

 

 

しっかり労って、

自分に愛情を注いで、

自分の心を感じてあげる。

 

 

 

 

 

自分をちゃんと認められるようになれたら、

依存から抜けられるようになるよ。

 

 

 

 

 

 

すぐに完璧は求めなくていいから、

一日が終わるたびに少しずつ、

自分にありがとうを言ってあげよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かに分かってもらおうとしなくても

自分が自分を分かってあげようね。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を徐々に満たせるようになると、

 

今度は、

誰かのことを分かってあげられる人になるよ。

 

 

 

 

 

自分が懸命に生きてきたことを認めると

目の前の人にも同じ視線を送れるようになる。

 

 

 

 

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正直言うとぼくほど、

「分かって欲しい」をやってきた人はいないと思う。

 

 

 

 

 

 

そのせいで、すいぶん迷惑かけました。

 

 

 

 

 

 

これからは自分のことは自分で満たしていこう。

 

 

 

 

 

 

自分を満たしたうえで、

人さまのことも理解してあげられる人になれたらいいな。

 

 

 

深いつながりを感じられるでしょう。

 

 

 

 

 

書いて気づいたけど

お互いが深く理解し合える関係は、

忘れていたもので、どこか懐かしい響きがあります。

 

 

 

 

 

魂は知っているのかもしれません。

 

 

 

 

 

根源的な欲求に触れられた気がしました。