前回の投稿で
「静かなしあわせ」について書きました。
自分のことを素晴らしい存在と認めれば、
不安は消えて心は安定します。
周りの人から見ても、
変わったように見えません。
変化のすべては内面で起きています。
例えば、悟りを開いたお坊さん。
ただ座っているように見えて、
心は悟りを開いた状態。
宇宙の真理を極めるしあわせを感じています。
(悟ったことがないので想像です)
この状態を「静によるしあわせ」と呼ぶことにしよう。
一方、
人は行動量を増やし、
人との交流が増えれば、
情報・モノ・お金が回り始めます。
こちらは外から見れば一目瞭然。
ビジネスにすれば、
モノ(お金)による豊かさを得られます。
これを「動によるしあわせ」と呼ぶことにします。
このように、しあわせには
「静」と「動」の二つのタイプがあるようです。
ぼくが想像するのは、
人それぞれ
「静と動の配分」が違うのではないでしょうか?
静をメインにしあわせを感じやすい人もいれば、
動がメインの人もいる。
人によって比率が
3:7
なのか、
5;5
なのか、
逆に、
7:3
というように。
世間的には
「動のしあわせ」を求める人が多いですよね。
だってわかりやすいから。
逆に内面は見えないし計測もできない。
だけど、
一方に偏り過ぎのはよくないかも、
というのがぼくの見方です。
何ごともバランスだから。
そこで、
こんな質問を自分に投げかけてはいかがでしょう↓
今、自分は
「静(内面)はどれくらい満たされているだろう?」
また、
「動(物質面)はどれくらい満たされているだろう?
静に偏ればこの3次元の世界は生きづらい。
動に偏ればモノはあっても虚しさを感じる。
静と動の両方をバランスよく満たすことで、
真のしあわせに近づける。
また、静(内面)と動(物質面)は影響しあうもの。
ぼくは人のしあわせについて、
そのような見方をしています。
