世の中は発展してきましたよね。
その一方、
心が満たされてない人も増えているように思うんです。
本来なら、発展が高まりとリンクし、
満たされ感も高まるはずなのに。
どうしてそうならないのだろう?
きっと、こういうことじゃないかな。
「感じること」を置いてきぼりにして、
「考えること」や「正しいこと」に偏り過ぎた。
「感じること」を二の次にしてきたように思うのです。
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そもそも人は、感じたい生きものだ。
幸福感・達成感・裕福感・優越感
恋愛も、愛情も、友情も、、
ぜーんぶ、心で感じるもの。
ぼくらが本当に心から望んでいるのは、
「〇〇感、を感じたくて生きている」
そう言っても過言じゃない。
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ぼくらの人間は、
一人一人の中にある「主従関係」を構築しています。
どういうものか説明しますね。
本来、人の望みは「感じること」にあります。
その望みを叶えるために、
「正しく考えること」が必要です。
①正しく考えることで → 望みを叶える
②望みが叶う → 心が満たされる
望みを手にすることで「〇〇感」を得られます。
そのことから、こんな例えができます。
感じる力をもつ者が「王様」
考える力をもつ者が「官僚」
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社会が発展しているのに心が満たされないのは、
「正しいこと」を考えるあまり、
本来、感じたいことに見てこなかった。
言い換えると、
王様が不在のまま頑張っていた。
そんなことが言えそうです。
本当の望みは
「○〇感を感じたい」のにその目的を忘れている。
それでは、いつまで経っても心が満たされません。
つまり、人の意識の構造に問題があったと言えそうです。
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【主従関係を戻そう】
望みと考え方の構造を見直そう。
感じる力をもつ王様が本来の席に戻ること。
そして、考える力を感じるために使うこと。
王様が感じたいことを成すために、官僚はそれを考える。
そのような配置が必要です。
それぞれがおさまるべき席に着くことが、
何かをはじめる前にすべきこと。
そのように思います。
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あなたはどのような、
「〇〇感」を感じたいのでしょうか?
感じる力と考える力の力関係は正位置に着いてますか?
本来、いるべき席に戻りましょう。
そうすることで、
本来、心が望むものを満たされるはずです。