今日は図書館に出かけました。
好みは科学雑誌や車の本。
子どもの頃は毎月届く「学研の科学」が楽しみでした。
(科学って面白い)
今日、手に取ったのは科学雑誌「ニュートン」。
宇宙、科学、物理、どれも興味をそそります。
あるページを開くとこう書かれてありました。
私たちの質量の約99%は「物体」ではなく「エネルギー」である。
どうみても人間は物体にしか見えないのに、
科学ではエネルギー的存在なのです。
驚きです!
ここからは自分なりに解釈です。
ヒトは活発に動きたくなる時もあれば、
ダラダラする時もありますよね。
どちらがいいという話しではなく。
エネルギーが高いとこんな状態↓
・人と会って話したくなる
・遠方に出かけたくなる
・新しいことにチャレンジしたくなる
逆にエネルギーが低いとこんな状態↓
・人と会うのが面倒
・家に籠りたい
・やる気がしない
つまり内発的なエネルギーが行動を決めていると言えます。
内発的なエネルギーこそヒトそのもの。
エネルギーが高い状態がその人らしさを発揮させます。
好きなこと、
興味の湧くもの、
それをやる時エネルギーが高まります。
「ヒトはエネルギーを高めるものに向かえばいい」。
そんな一つの解がでました。
エネルギーを高まることをやればいいと分かりながら
素直に向えないことがあります。
ぼくの体験を書きます。
ぼくには今年80歳になる母がいます。
母との親子関係が、
今もやりたいことを抑える原因になっていたと理解しました。
母は主張が強いタイプでした。
自分が正しいと思うものが絶対正しく、
間違っていると思うものを断罪しました。
ふつう、子どもは成長する過程で自己主張を始めます。
中学生くらいになると
男子は母親のことをクソババア扱いするそうです。
以前、福山雅治さんのラジオでスタジオアンケートを取ったのですが、
男子の8割が「うるせー、クソババア」と自分の母親に言った経験があるそうです。
良くない言葉ですが、
反発しながらもそれは自己主張の表れです。
ぼくは全くそういう発言はなし。
いわゆる反抗期がないまま過ごしてきました。
でも、それは健全じゃなかったようです。
今、やりたいこと抑える原点を思い出しています。
当時、自分がやりたいことがありました。
ただうちの母はこう言います。
「そんなことやってもしょうがないじゃない。
それより、こっちにしなさい。」
やりたいことがあっても母の意見に従いました。
母の意見に従えば親子関係に波風が立ちません。
もし自分の主張をすれば、
母は、
怒るか、拗ねるか、悲しんだはずです。
最後は「どうせ私のことなんて・・」と。
ええ、手に取るようにわかります。
だいじな人の関係を守るために気遣った。
主張すれば大切な人が傷つく。
だから関係を守るために主張を抑える。
自分が我慢する。
母から離れてからも
あらゆる人間関係に同じことをやっていました。
でも、それを続けている限りはやりたいことはずっと先送り。
だから変えます。
自分のことを思ってくれる意見はありがたく頂戴する。
でも、それを採用するかどうかは自分で決める。
進む道は自分で責任を取る。
自分の判断が甘かった、と過ちに気づくこともあるでしょう。
でも、自分の意思で選択することに意味があります。
あと、
主張を通すと関係が悪くなるというのは誤解でした。
きちんと相手とコミュニケーションをとれば問題なかったのです。
意見に従わないからといって、
それが相手を軽んじているわけではない。
なにごとも自分で決める(責任を取る)、
ということが何よりもだいじ。
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「ヒトは物体ではなくエネルギーである」とありました。
自由意志で生きる時、人のエネルギーは高まります。
自分を思ってくれる気遣いには感謝しつつ、
そのうえで自分の意思でやりたいことをやっていこう。