世の中なんでも境界線をしがちだけど、

 

線のハッキリしない曖昧さを愛する人もいます。

 

 

 

線がクッキリしないぼやけた感じ。

(感じ=という感覚もつかみどころがなかったり)

 

 

 

 

 

 

 

○たとえば「干潟」が好き。

 

 

 

陸でもあり、海でもある。

 

 

でも逆に言うと

 

陸でもないし、海でもない。

 

 

なんと曖昧な場所でしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

○またアメリカの家にあるような大きなウッドデッキが好き。

(適した画像が無かったから読み手の想像力にゆだねます)

 

 

 

大きなウッドデッキの上にはこれまた大きな屋根。

 

 

デッキの椅子にゆったり座り、

風景や外の空気に触れる。

 

 

 

 

外の空間と空気に触れつつ、

内の快適性が同時に存在する場所。

 

 

 

屋外でもあり屋内でもあり、

 

同時に、

 

屋外でもなく屋内でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○あと夕暮れ時も好き。

 

 

 

 

地平線に近いところは明るいけど、

 

天高くなるほど青→紫→紺と色がグラデーション的が深い。

 

 

 

時間の経過とともに刻々と色が変わる。

 

時間の流れにによる風景の変化が感じられる。

 

 

 

 

そんな時間帯は

 

昼でもあり夜でもある。

 

 

 

 

でも、同時に

 

昼でもなく夜でもない。

 

 

なんと曖昧な時間でしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

干潟も、夕暮れ時も、ウッドデッキも

 

はっきりとした境界線がない。

 

 

ファジーな空間や時間帯。

 

 

 

 

 

 

 

 

今は少なくなったけど、

干潟は田舎では見ることができます。

 

 

 

 

潮が引き陸が現れて鳥が舞い降り、餌をついばむ。

 

そんな干潟を見る度に豊かさを感じるんですよね。

 

 

 

 

 

干潟は効率的じゃないと埋め建てが進んで少なくなっているのは残念。

 

 

 

 

効率的にすることで豊かさになるはずだったのに、

逆に豊かな感覚が失われていくのはなぜだろう?

 

 

 

 

 

 

効率的、機能的になってもたらされる恩恵もいっぱいあるね。

 

 

でも、あまりに機械的に無意識的に進められると

豊かさが失われていくのかもね?

 

 

 

 

 

「人の心」がどう感じているか?

 

人の心の捉え方を忘れがちになってないかな?

 

 

希薄に感じられるな。

 

 

 

 

 

本当は人の心や感覚がそれをどう捉えているか、

それが大切だよね?

 

 

 

 

 

割り切れない感覚を愛するから

境界が曖昧なものが好きなのかな?

 

 

 

そんなことを言ってるぼく自身、

優柔不断でハッキリしない曖昧なところばかりだ。

 

 

 

そこを正して一丁前にちゃんとしないとと、

自分に厳しい気持ちをもっていたけど、

 

曖昧な自分も愛しちゃっていいよなぁ~、

 

ってなんとなく思えてきた。

 

 

これも、なんとなく~、

 

 

だけど。。

 

 

 

 

あいまい

 

 

 

 

I LOVE 曖昧(あいまい)

 

 

 

I(私)も、

 

 

My(私の)も

 

 

そんなあいまいな自分を愛しちゃってもいい

(無理しなくてもどっちもいい♡)