子どもの性分て
「正しい、間違いか」よりも
「楽しいか、退屈か」で選ぶ。
ノリがだいじだもんね。
ご機嫌がコロコロと変わりやすくて
気難しい一面がある。
天才だけど大人の常識が通じない。
イタズラが好き。
人を怒らせる。
「子ども性」には悪魔性👿が潜んでいる
怒っても言う通りにしない。
ワガママ、意味不明な行動、やりたい放題!
喜びを、飛んだり跳ねたり、
からだ全体であらわす。
どこまでも正直に生きる。
なんて痛快なんだ。
好き放題やりまくる。
自分勝手に遊び呆ける。
そんな子供の性質は、
ほとんどの大人は忘れているけど、
すました大人でも一人ひとりの内面に宿っている。
問題は、
そんな子どもの性質を「ダメな事」として捉えること。
当時、子どもだった自分にまわりの大人が怒ったように、
大人になった自分が内面の子どもに、
悪いことをしないかと目を光らせる。
本当は好きなことをしたいのに、
自由になりたいのに、
「正しいかどうか考えてから行動しなさい」という
大人の声が心に響き渡る。
伸び伸びと自由だった心は、
しだいに潜めていき、
自分が今からやろうとしてすることは、
正しいことか?
間違っていないか?
あとで評価してもらえるか?
周りの目を意識するようになる。
自分らしさを失い、しだいに生きづらくなっていく。
切ないな。。
でも、さかのぼっていくと、
当時の大人も内面の子どもを戒めていたはず。
それが「正しいこと」だと信じていたから。
苦しさが続く続く負の連鎖。
でも、その連鎖はここで断ち切ろう。
外見も、年齢的にも大人になった自分。
そして内面にある子供のままの自分。
自分の中にある二つの自分同士、
しっかりコミュニケーションをとろう。
大人には大人の良さがある。
「思いやり、優しさ、知識、経験、社会性」
子どもには子どもの良さがある。
「自由、創造性、湧き上がる喜び、感性、強い生命力」
お互いもっているものをリスペクトする。
お互い向き合い信じあう。
ずっと、押し入れの奥に隠れていた、
子どもの自分がこそこそ、っと出てきて
もう大丈夫なんだぁ!と
自由に駆け回り出す。
以前は嫁さんとケンカばかりしていたけど、
最近はとても仲がいい。
一緒に居てとても楽しくなったのは、
ぼくが無邪気さという子どもの自分を
出すようになったのとリンクする気がする。
振り返ると、
長い間難しい顔をして家で過ごしていた。
それは鏡のように嫁さんも常にイライラ気が立っていた。
それが最近は、
「どうしてそんなくだらないことばかり無駄に出てくるのー?」と、
呆れられながらも一緒に笑う。
子どもの頃に感じた、心躍る感覚。
どんなにアホなこと言っても笑ってくれる。
(時々やり過ぎてウザがられるけど・・)
子どもの自分は、飾らない素の自分。
ありのままの自分と言えるかもね?
子どもの自分と大人の自分、
お互いうまくやっていこう。