生きる喜びを求めるぶぅべぁかあちゃんの旅〜Any Life is Beautiful anyway〜 -9ページ目

生きる喜びを求めるぶぅべぁかあちゃんの旅〜Any Life is Beautiful anyway〜

感受性豊かな気質とサバイバーとして生育家族を生き延び、創設家族(結婚、出産後)では障害者となり、人間理解と生きる喜びを探究し続けた人のブログ
ソーシャルワーカーとしての活動も少し含。

長い1日だった。

そして、実り多き1日でもあった。


朝から落ち込む。

理由は、せっかくできた息子の友だちの朝の一緒に登校が間に合わないことへのプレッシャーだ。


助かるはずだったのに、いつの間にか

ちゃんとしなきゃになり、苦しくなった。

なんせ、この1ヶ月30分の遅刻は慢性化していたから。


そして、気づいたのだ。

私のやろうとしていた活動が、

こういうことだったことに。


皮肉にもその親子は

私が4月当初、母子分離が出来ずに泣いていたお子さんだったのだ。

おかあさんは仕事に行かなくてはならない様子。

泣いてしがみつく我が子を先生に預けていくしかない。


私は、我が子の3年前と重なり、なんとかしてあげたいターゲットの親子として気になっていた。


ところが、それはたったその日だけで、あとはすんなりひとりで登校したという。


それどころか、我が家の状況を聞き、迎えに行くから一緒にいこう。となったのだ。


私も朝の送迎がなくなるのなら、と思っていたが、今度は変なプレッシャーとなっていった。

まだ6歳のピュアなこどもを傷つけたくなかった。

準備ができていないなら、部屋にあがってもらって待ってもらったらいいか?


それができなかった…。

こんな汚い部屋をみたら

なんと思われるか。

そして、家の人にもバレてしまう…。

待たせてばかりだと

もう行きたくないとなるだろうか。

テレビをみさせて、つらせるか?

などなど、邪心もでてくる。。


結局私は疲れとストレスで

ごめんね。後でいくね。

と言った。


なんだかもやもやしたまま、

学校…休みたくても休みづらくなったな…

とガッカリする自分もいた。


上の子との不登校の時間が苦痛だった。

したくなくても比較してしまい、

校門をくぐって他の子どもたちの笑顔が眩しすぎて遠かった。


下の子を自由に休ませて、旅に行けた未就学児の頃がバランスを取れていたことにも改めて気づいた。


そして、今

そんなことを話して誰が共感してくれるだろう。


学校楽しんで行ってる息子に

ごめんね、。今日は学校休んでお姉ちゃんと一緒に遊んでほしいだなんて。。


これまで楽になれるように

たくさんヘルパーも増やした。


料理も週2日も外注している。


なのに、全然私たちは

笑顔になれなかった。


なぜか、今日はっきりとわかった。


私は作業的な助けが必要ではなく、

心の安心できる環境が必要だったこと。


つまり、安心して弱れる場所を求めていた。


ちゃんとしたおかあさん。

ちゃんとした部屋

ちゃんとした生活

に苦しめられていた

手抜きツールや制度を使っても

外注して、ツールを増やせば増やすほど

その

“ちゃんと”に近づけるべく苦しくなるだけだった


私が始めようとした”対話のオーケストラ”は

私が今現在必要としている場でもあることに。


弱さをみせられなくなっていってた

ファシリテーターとして。

強がるようになってた。

みんなが不安にならないように。


いつも安定していて

頼ってもらえる人になろう。ならなくちゃと。


だけどそれは私が求めていることじゃなかった。


そして、そんな場所は日本の中で今とても少ないことに。


通院している精神科でさえ、心の拠り所にはならない。薬の処方をするだけだ。共感の言葉すらもらえなかった。


ボケてもいいよ。と掲げられていた鹿沼の施設の入り口の看板に惹かれたのがつながった。


弱ってもいいよ。


安心して弱れる場所。

そのあとに、

人は回復していく。

呼吸をまた、とり戻していけるのだ。