ようやくこどもたちを連れて観に行けた。
何度、私の体調不良で当日キャンセルしたことだろう。
“連れて行く行く詐欺”になるところだった。
本当はこどもたちのパパも行きたかったのに、そこは叶わなかった。
1日1回9時半枠しか、もう上映されていない時期に。
土日は他の約束で埋まっていた。
今日しかない。それか、もう今年は行かないか。
の選択肢になってきていた。
今日は平日。
学校のある日だ。仕事の日だ。
夫に相談すると
「本当はダメなこと。周りの人に話さないことを言い聞かせた方がいい」と返ってきた。
…わかってる。
でも、なんで…?
保育園時代は
こんなに罪悪感はなかったし、言われることもなかった。
そして、今なら上の娘の不登校は”当たり前”の日常になり、躊躇いはない。
ならば、なぜ上の子と映画行くのは良くて、
下の子はダメなことなのか。
学校に行けているから?
だから、行かせないといけないのか。
休ませるのは良いけれど、過ごし方が問題。
なぜ、家や公園とかは良くて、映画館はダメなのか。
私はずっとこの気持ちと4月からたたかっている。
ずっと考え抜いて悩んで迷って、出した答えは、
「映画の後にフリースクールにいくこと」にして、学校の欠席を無理やり正当化した。
映画のテーマだったのだろう
「正しいと正解は違うのですか?」
映画を観る前から娘がふとした時に声に出してたその問いを。
その時は単なる予告編の真似をしていたんだと思う。
けど、なんか心に刺さっていた言葉。
そして、私は映画をみて久しぶりに号泣した。
のび太くんのセリフ
「ちがうのかもねー。その行動が間違いだって頭では分かっていても、正しいと思ったら動いちゃう。心がそうさせるんだ」
の部分。
今日の私だった。
今の私だった。
4月からの
そして
これまで積み重ねてきた
3年間の
私だった。
付き添いなしでは授業を受けられない娘と共に
ずっと考えてきたテーマだった。
私の学校ではないけれど、付き添いしてる以上私の学校でもあったのだ。
先生でもなく、生徒でもない
机もなければ給食もない
影の存在でありながら
声の出ない娘の代弁者として
私は背負ってきた
不登校になったのは わたし。
居場所なんてない。お母さん同士の友だちも作れなかった。
居心地がとてつもなく悪く敏感に反応した。
私は色々飛び出してやってきた。
夫との別居。転校。
フリースクール、フリースペース巡り。
旅。
田舎の留学。
娘の笑顔がみたかった。
笑顔でいてほしかった。
今回の朝一からの映画館も。
3人で笑顔でいられる時間を
例え間違っていたとしても、つくりたかった。
映画を観終わったあと、私の心は清々しく
満たされていた。
これで良かったのだ。
と。
今日来れて良かった。
と。