子どもたちは私が泣いていると今も言ってくれている魔法のことばがある。
「いいこだね いいこだね よしよし ぎゅうー」
何度も何度も繰り返す
大人になっても
覚えていて欲しい
それは自分自身にも言ってあげられる大切な支えになる
学校…本当は、本当は…行かせてあげたかった
どうして、上を上を目指す教育なの?
誰もが行けるような楽しい工夫や配慮を誰ひとり考えて行動してくださる方はいらっしゃらないの?
だれひとり取り残さない教育は
どこにあるの?
どうして学校に行けないだけで教育格差や経済格差が生まれ、生きる希望を失ってしまわなきゃならないの?
その人たちの気持ちを当事者にならなきゃ本当には理解してもらえないの?
「無理に行かなくていいんじゃない」
なんて簡単に言わないでほしい
じゃあ誰がみてくれるの?誰が学びたい気持ちを受け止めて伸ばしてくれるの?
私ひとりで全部しなくちゃいけないの?
場所?たくさんあるさ。
フリースクール、フリースペース…その他いろいろ。
どこかに行けたらそれでいいの?
皆がいる場所に私もいないと、こわかった
安心できる場所、私が欲しかった
今日、こんなことしていていいんだろうか
誰かといないと 不安で不安で仕方がなかった
小学生の療育は我が子ひとりの日がほとんどだ。公園に出ても、ほとんど見かけない。
みな、どこにいる?学校?おうち?
世間から取り残された感が不安を仰ぎ立てる
我が子は本を読み、お弁当を食べて帰ってくる
笑顔はない
会話もない
それでも
みんなと一緒に 学ばせてあげたかった
でなければ、
「きっと大丈夫だよ。よくがんばってるね。」
と大きく包み込んでくれる人のぬくもりがほしかった
分かち合える人の存在がほしかった。
亡き祖父母にわたしは毎晩泣きついていた。
学校にかけあい、教育委員会に抗議をし、
相談窓口に気持ちを伝える
色々、もがいてあちこち走りまわった私も…
そろそろ貯蓄の底がつく…
ひとり親の年金も使わせてしまって…情け無い…
大学費用に使うはずだった遺産も家賃にベビーシッター、家事代行に使い果たしてしまった…
実際には
何も制度も変わらぬまま日々が過ぎる…