生きる喜びを求めるぶぅべぁかあちゃんの旅〜Any Life is Beautiful anyway〜 -2ページ目

生きる喜びを求めるぶぅべぁかあちゃんの旅〜Any Life is Beautiful anyway〜

感受性豊かな気質とサバイバーとして生育家族を生き延び、創設家族(結婚、出産後)では障害者となり、人間理解と生きる喜びを探究し続けた人のブログ
ソーシャルワーカーとしての活動も少し含。

3月も終わる。

ようやく、この1枚の紙を手に取る日が来た。


今年書いた抱負が両方現実のものとなり、動き出す。


支えてくださった会ったことのない画面の奥の人たちに、たくさん支えられてここまできました。

オンラインという今の時代にとても救われました。


1000人近くいるオープンチャットで、私の書いた発信が既読が増えるごとに1割程度で反応が増えていくことにとても嬉しくて、驚きました。


ここにも抜粋します。

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試験から二ヶ月程経ち

発表から1か月ほど経ち

気づいたこと。


それは社福に合格したかよりも

あれほど無心で勉強に没頭したことだった。

夢中になれるものに出逢えたことだった。


あの受験勉強のために整えてきた生活リズム

あれほど家事育児において、何を削れるか。

時間を捻出したこと。11秒の重みを感じたこと。


私生活も職場でも決して温かい環境ではありませんでした。


先日ひとりでそっと通信大学の卒業式に出ました。

祝辞をいただき

改めて学びを続けようと決意しました。


私は絶対合格しなければ。というプレッシャーはありませんでしたが、逆に、合格したとしてもそれを共に分かち合い、喜んでもらえそうな人が周りにいませんでした。大学卒業したことも、それを心から喜んでもらえそうな人を、悲しいことに1人も思い浮かばなかったのです。

そのことがなんだか無意味なことに感じて、しばらくはとても虚しくもあり、さびしくもありました。


唯一、我が子たちが

「もう テスト終わったの?一緒に寝れる?レストランで食べに行く?」と待ち望んでいました。


入学して5年。私は大切なものをたくさん失いました。

自身は学びに救われたけれど

一番救いたかった、大切にしたかった

自分の家族は

救えなかった。バラバラになってしまった。壊れてしまった。壊してしまった…。

そのことがとても重たくのしかかり、私は「国試に挑みました」は言えても「合格した」とは言えなくなりました。


卒業式の日に様々な先生方が口を揃えて

「通信を卒業するということは、自分を律し、仕事に介護、育児と両立させながら、時に孤独と闘い続ける」と4年、或いは8年かけても卒業したこと自体すごいことだと述べてくださった。

決して会うことのなかった画面の奥の学生さんたちにやっと会えました。答辞を話された代表の方はお二人でしたが、それぞれの想いを知り、皆それぞれのドラマがあることを感じ取り、とても胸がいっぱいになりました。


入学当初は応援してくれていたパートナーへ「5年間ありがとうございました」と伝えました。


「そう。おつかれさまでした。」

とだけ返ってきました。


合格発表の日は手が震え、番号を探しました。みつけた瞬間、人生初の味わった喜びと共に、人生において1番苦しい日ともなりました。

皮肉なことに、もし神さまが選んでいいと言うのなら合格していなくてもいいから、この3年間家族の修復に向かって生命を削ってしてきたことが、実ってほしいと私は望みたかった。

そして、もうそれが決して実ることがないのだと悟った日でもありました。


また、職場では受験する話しても「子育てしながら大丈夫?無理しないで。シフト入れそう?」と保育の仕事に必要な資格ではなかったため、迷惑をかけてしまっていました。

上司にだけ合格者の番号があったことを報告しても、他の業務報告に埋もれて、特に何の言葉もありませんでした。


このままでは、ペーパードライバーのようになってしまう。

と奮い立たせて、幼保と就学時期、そして特に低学年の学校生活のサポートを考える「親の会」を立ち上げることにしました。


妊娠期から100年時代まで支えられるものの一つに

私は「哲学」だと信じています。

哲学と対話により精神保健福祉を支えていきたい。


どんなに孤立しても、コルチャック先生はじめ、先人たちのように生き切りたい。


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