付き添い運動会 | 生きる喜びを求めるぶぅべぁかあちゃんの旅〜Any Life is Beautiful anyway〜

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感受性豊かな気質とサバイバーとして生育家族を生き延び、創設家族(結婚、出産後)では障害者となり、人間理解と生きる喜びを探究し続けた人のブログ
ソーシャルワーカーとしての活動も少し含。

10月とある土曜日に行われた運動会。


小学校入り、2回目の運動会。


徒競走、ダンス、玉入れと開会式、閉会式含め

全てを付き添い参加した。


これは、私と娘だからできたことだと思う

前の学校にも、この学校にも、他の学校の話でも、あまり聞いたことがなかった。


そして、そのために月に3日程度だった付き添い登校を週2、3くらいまで増やし、

特に6分間に及ぶダンスは、隊形移動も含めて私が覚えていかねばならなかった。


娘の背後に立ち、両手で娘の手首を持ち、私が誘導していく。私が踊れば娘も踊る。操り人形のような。。

場面緘黙症の特性で無表情だ。

…一見他の人から見たら、無理やり親にやらされて可哀想に見えてもおかしくない姿だ。。


もともと、参加予定はなかった。

ただ、当日観に行くだけだと、きっと楽しくない。

知ってるダンスを見るのと知らないダンスを見るのとでは楽しみが違うという先生の言葉が心に留まった。


それから動画配信を受け取り、運動会の練習には出来る限り参加した。


もちろん、本人の意思をきいた。


去年一年生のときもそうしたし、正直可哀想にも思っていた…。


でも、当の本人はダンス動画をみて

家では踊り出し、

練習も校舎外であること、

支援を必要とするクラスメイトが自由に動き回っていたりして、そのことが私と娘にとっては緊張を和らいでくれていたことから、

まんざら嫌そうではなかったのだ。と察した。

「ママと、やる!」そう、力強く答えた。


それなら、と

徒競走も玉入れも全部できるかもしれないと確信した。

そして、小2の今年が親と一緒に手を繋いで出るなんて…最後かもしれないとも思ったんだ。


不登校と一括りにはできないくらい複雑な気持ちを私たちも抱えている。

娘は、学校に対して「1人にされたらこわい」感覚が強いみたいだ。

でも、全ての授業は興味がある。


私はそんな我が子にできることは付き添うことしかなかった。親族も周りもそれが1番娘のためだと信じ、私に期待していた。


だから、本当は付き添いしんどくて、本当は何度も辞めたくて、息が詰まって嫌だったけど、期待に応えたかった…。


運動会の練習期間、目標ができて、

それを周りに対しても負い目を感じることが減って

これだけ頑張ってたら認めてもらえる。

んじゃないかってどこかで生まれてきていた。


「学校にも行かせないで、ママとだったら行くと言ってるのに、いったい日中なにして過ごしてるんだ💢」

の言葉がずっとのこっていて、、

「教室入ると固まってしまって…」

に対しても

「だからってお母さんが諦めるの?!」と責められて…。


そして、私は安心して帰る場所もなくして、家を出てしまったから…。


家の人に喜んでもらいたかったから。

良い人と結婚したね。

と認めてもらいたかったから…。


見捨てられ不安は幼い頃から変わらなかった


転校先の今の学校で付き添いが続けられているのはいつも先生たちが

「おかあさん、忙しいのに いつもありがとうございます」

と声をかけてくださるから。


運動会が終わり、家族からはひとことも

「お母さんもよく頑張ったね」「すごいね」

はなかった。


娘に対して

「去年よりかは良かったんじゃない?」

のひとことだった。去年も付き添いダンスしたことなんて、覚えてもいなかった。


どんなに努力して、ダンスが苦手でも必死で覚えてきたことも、何も知らない。他の生徒さんとビデオ撮影なので被っていないか心配し、黒子のようにまた補助の先生かのように振舞い、踊った。


クラスメイトのしっかりさんにいつも助けられた。

「こっちだよ。この子について行って。」

ありがたかった。。


だれも、場面緘黙症の娘を悪く言わないし、

優しくしてくれる。私にも優しく接してくれる。

こどもたち大好きだ。


小学校の先生方は本当に大変だと思った。

運動会のことを考えながら、国語も算数もカリキュラム通り進めなくてはならない。他にも授業はたくさんある。


先日、この運動会の話をしたら

友だちがめちゃくちゃ褒めてくれた。

私にも賞金や表彰されるべき姿だよと。


とっても、とっても嬉しかった(涙)。