今回は、野上和子会員が、 「不登校の生徒について思う事」 について記事を書いてくださいました。

 

 

 現在日本をはじめ世界では戦争や災害のため多くの児童、生徒が登校できない状態が続いております。そんな中、学校に行かない、行けない不登校の子供たちに接し、今思う事を綴りたいと思います。

 日本では30万人を超える不登校の児童、生徒がおり、その原因はいじめ、ADHD、起立性調節障害、摂食障害、介護問題等様々です。コロナによる長期間の生活環境の変化もこれに拍車をかけ、今やその人数は増加し続けております。LINE相談ではそんな方たちの生の声を聞いており、現在の学校の在り方を考えさせられます。私の回答で少しでも勇気を持ってもらい一日でも多く学校に通ってもらえれば、という思いで行っておりますが、寄り添うつもりが、LINEという限られた枠の中知らず知らずのうちにかえって傷付けてしまったり、余計な事を言ってしまったのではないかと反省することばかりです。

 2016年には”教育機会確保法“という法律が制定され、学びの場は学校だけでなくフリースクールや保健室など、様々な取り組みが始まっております。不登校だった生徒がその経験を活かし、養護教諭になったという例もあります。

 不登校は学校だけでなく社会全体の問題で、孤立しがちな一人一人に寄り添い決して一人ではない事を伝えないといけません。また、それに伴い保護者への心のケアも必要となり周りの私たちの役割りはとても大事です。LINEによる生の声を、まずは聞く事を意識し、今後は不登校を少しでもなくすべく研鑽を重ね精進して参ります。

 アプローチ会に所属しながらあまりお役に立てていない事を心苦しく思っておりますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 


 

 

荒田妙会員      

約50年前大学進学の際、福祉を学ぶ道を選んだ。将来、高齢化社会がくるだろうし、色々な人たち人たちが生きている社会、私達は、どう生きていくのがよいのだろうかと思った。選択した心理学では、神谷美恵子氏の「生きがいについて」がテキストでそれを読んでレポートを提出した。先生は、精神科医。ハンセン病療養施設、岡山の長島愛生園で勤務していた。深刻な苦悩を経た人間がどれほどすばらしい精神性、可能性を持っているかを語る。

 ハンセン病といえば、何年か前、樹木希林さんの主演の「あん」という映画をみた。差別のこわさ、悪評によって人は人を傷つける。今度「あん」の舞台があるらしいので又、みにいきたいとと思っている。辛い時私は祈る。

 社会福祉とは何か、幸せとは何か、生きがいは人によってちがうけれど、日々の個人の生活の中に答えはあると思う。50年考えている。福祉は広範囲であることが生活に直けつしている。災害のニュースをききながら、私は祈った。

 

 

 

 

 

「相談して下さいね」の落とし穴

中瀬医院 院長  中瀬勝則  

私たち産業医や産業保健師は、職場の自殺予防対策の中で、「何かあったら相談してくださいね」という言葉をよく使う。勿論、私達としては、相談しやすい体制づくりや相談しやすい従業員との関係づくりは、とても重要であると常に認識し、日々の何気ない雑談もできる風通しのよいコミュニケーションの構築を心がけている。しかし、従業員の側では、産業保健職の役割が理解されていなかったり、ひどい時には会社側の人間という見られ方をしている場合もある。実に様々な事情を抱え悩みの中にいる当事者にとって、残念ながら産業保健職である私達は万能ではないし、全ての労働者の自殺を防げるわけではない。防ぎえた自殺と、そうではない自殺の境界は、クリアカットにはいかないのも現実だ。そこで重要になるのが「命の門番」とも位置付けられる現場の支援者である。例えば救命処置で心肺停止時などの緊急時にも、その場に居合わせた現場の人間の行動が、救命の連鎖に繋がり生死を分ける。それと同様に、自殺予防のためには、自殺の危険を示すサインに気づき、適切な対応(悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る)ができる現場の支援者を育てることが重要なのだ。アプローチ会員以外にも、そのような支援者を職場に隈なく配置できる日がくることを夢見て、この活動を続けている。

 

 

 

 

 

学校法人野上学園 ブレーメン動物専門学校

理事長 野上 耕一    

今、原稿を依頼された瞬間、私はいくばくかのストレスを感じております。

この苦痛は感覚的であり、フィジカルなものとは少し異なる。

それは時間軸の経過と着地点の違いによって左右されますが

今回は比較的短いストレスで終りそうな気がする。

 

さて

ストレスの語源はdistress(苦痛や苦悩)のDIがなくなった言葉であり

1930年代の研究に起因されている様だ。

 あくまで私個人の主観でのお話になりますが

 知らぬが仏。知らぬが華。  

 この言葉に反し、人間というのは色々知ってしまうと、今まで“何となく”だったものが頭の中で勝手にデフォルメ又は増幅されてストレスに感じてしまうようだ。

何事にもネガティブキャンペーンを展開してしまうと、息を吸う事、食事を摂る事

寝る事、等々ジェラシック脳が何も考えず本能のままに行っているフィジカルな事ですら大きなストレスとなってしまっております。

 無論何らかの疾病によるものはこれには当てはまりませんが。

 

ストレスを引き起こすものをストレッサーといいます。

それは“物”であったり、五感的なものであったり、“者”であったり。千差万別です。  

人はストレスを少しでも和らげようと人は色々考え故事や格言がうまれました。

万事塞翁が馬。スペイン語のケセラセラ。止まない嵐はない。等々沢山の言葉があります。

人は自分中心。故に自分(細胞)の敵も味方も自分(細胞)であるという事を理解し受け入れる事が肝要かと考えます。

 

私は老齢期に入りストレスを感じ始めた時、ストレスがあるから生かせれていると

解釈し今に至っております。                

そして、書き終えた今、最初に感じた“それ“から解放され様な気がする。   

 

 

 

 

 

公認会計士 福山正啓会員

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

新年の挨拶を、とのご依頼をいただいたので自分の思う健康と絡めて少しお話をさせていただきます。

「健康」とは?と問われれば人それぞれ答えがあると思いますが、WHOでは「健康」を次のように定義しているそうです。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」

全てが満たされた状態といわれるとなかなかハードルが高そうですが、当然ながら「肉体的」「精神的」「社会的」の三つの要素はそれぞれに独立したものではなく相互に作用するものであると思います。また、アプローチ会では、上記の三要素を「良い健康」「良いメンタル」「良いコミュニティ」としています。

さて、「良い健康」「良いメンタル」「良いコミュニティ」とはなにか?と少し考えてみました。「良い健康」「良いメンタル」はシンプルに身体的に精神的に健康だということだと思いますが、「良いコミュニティ」とはどんなコミュニティだろうと考えてみました。

「良いコミュニティ」とは「良い健康」「良いメンタル」を持った人の集まり、また、参加者を「良い健康」「良いメンタル」に導くようなコミュニティのことかなというのが自分なりの考えです。そうすると実は健康は自分だけのものではなく、日々接する人たちと共にしていくものなのだと思いました。ということで、自分だけでなく周りの人が元気になってくれるような人間になりたいというのが今年の目標です。

 

 

 

 

 

 

 

プローチ会 ✻ 心の相談室

 

アプローチ会は、LINEで「お悩みの相談」を行っています。

専門的な回答が必要な場合は、専門家(精神科医、看護師、弁護士など)がお答えします。

秘密厳守、無料でのご相談をお受けしておりますので、安心してご相談してください。