教え育てると書いて教育と言う。
なんと高慢で偏見にみちた言葉なのだろう。
親の理想は自分の満足と安心こそが大事で
わが子が生きて行くための力は学力こそが本当に優先されると信じている。
子どもたちは親の判断こそが唯一無二で
それに頼らないと生きては行けない。
仲の良い親子は支配する者と支配される者の関係で結びついているのかも知れないと感じる。
支配する者と支配される者はたびたび入れ替わりながら。
私は20数年やって来たジュニアテニスを今年でやめようかと思っている。
いろんな葛藤の中で自分の役割はもうそこには必要のないものかも知れないと感じる。
今、子どもたちに必要なのは管理されない自由な時間と
自分が自分らしく輝ける場所だと思っている。
ジュニアテニスとは名ばかりの何も教えない、指示しないここでは
子どもたちは親が迎えに来るまでは、子どもらしく遊んている。
わかっている人たちはそれが良いことだとは言うが
その時点でここは大人か作った管理された場所かも知れないと思う。
きっと子どもたちの中にいる異質な存在の私はここから逃げ出したいのかも知れない。
そこに私の存在が必要ないと感じるから。
いろんな考え方や意見はあるだろうし、どれが正解かもわからない。
でも、自分は自分の信じる道をと突っ走ることがてきるほど
そんな情熱はあきらめに埋もれた。
負けたわけではない。
また違う道を歩こうと思っただけだ…。