消防署で消防団との調整会議がありました。
東日本大震災の災害派遣での活動の報告もありました。
宮城県での津波直後の状態や、活動内容を映像やスライドで見ました。
流された車両、倒壊した家屋、そして死体…。
古い戦時中の焼け野原にも似た何もかも無くなってしまった風景。
静かで、泥の臭いだけがしていたそうです。
上空には防災ヘリが飛び、海に津波の白波がたつのを警戒した中での捜索活動。
活動車両は常にすぐ逃げることができるような状態で待機して
生存者をあてもなく探し歩いたそうです。
福島原発から50kmしか離れていないので放射線も絶えず測定して
3日間で約1ヶ月の被爆量だったそうです。(胸のX線検診くらい)
陸前高田市では消防団員の死者が多かったそうです。
高い士気と使命感で、津波から避難を呼びかけ拡声器を持ったまま亡くなっていた団員もいたそうです。
町の消防団で災害の初動対応のマニュアル作成を消防署の隊員の方に相談した時に
「とにかく自分の命を守ることを最優先に逃げてくれ!」と答えがかえってきました。
現場へ派遣され惨劇を目の前にした隊員の叫びだと理解しました。
みんな必死に命を守ろうとしていたんです。
学ぶことが多かった震災ですが、あまりに代償が大き過ぎる…。
by 里田
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