アプローチテニスクラブのブログ-2010101208380000.jpg


理想や希望とは裏腹に“子育て”の現実は

まず『叱る』ことから始まってしまいます。

きっとそれは『教育』とか『躾』ではなく

『恫喝』の類だと思います。

親が思う“いい子”とは

手のかからない、

親の言うことをよく聞く

従順であり

かつ、親の期待に応える結果を出す子どもです。

気づかぬうちに“子ども”は親を満足させる道具になっているかも知れません。

「子どもたちのために…!」

と言いながら

実は親が気にくわないと

子どもに対する冒涜として怒る親が存在します。

「自分が喜べるようにして」

と言う方がまだ正直で言われる側にはわかりよいかも…。

過度な歪んだ愛情より

早く一人立ち(自立)できるように

知識と経験を与え

見せかけの学歴や名誉を求めるよりは

堂々と生きれることを

望むことが“子育て”のメザス道だと

偉そうに語りました。

…。

ただ“子育て”の結果が必ずしも人間形成のすべてかというと

やはり社会環境の影響が大きいのは事実で

それを考えると、国会で『柳腰』の言葉の意味がどうだとか

「今言ったことを謝れ」とか

あの醜態を見る度に、将来に希望をもてなくなり

社会より自分を守れと教えてしまう気になります。

by 里田


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