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Appadiyah* ~ in India ~

南インド出身のドラヴィダ人の夫と共にタミルナドゥ州コインバートルに在住。
“Appadiyah”とは、タミール語で「へぇ、そうなんだぁ」「へぇ、ほんとに~!」という意味の感嘆語。なんとなくその言葉の響きが好きなのでブログのタイトルに。

2月19日のインドvsバングラデシュ戦を皮切りにスタートしたクリケットワールドカップ。
全14ヶ国2グループに分かれた総当たり戦、勝ち残った8カ国はクオーターファイナル、セミファイナルのトーナメント戦へと進み、迎えたファイナルマッチ。
ファイナルは、共に開催国であるインドVSスリランカ。
バングラデシュは残念ながらベスト8進出ならず。

4月2日(土)は休日とあって、おそらくバングラデシュ国民の80%はテレビに釘付けだったのではないだろうか。

インドが決勝進出ということで、急遽我が家の大きな空き部屋(私たちの勉強部屋)にプロジェクターをセットし、友人たちを呼んで試合観戦をすることに。
バングラデシュ時間の午後2時半過ぎ、インドはムンバイのWankhede Stadiumにて、スリランカの打撃から試合がスタート。
両チーム共にいいゲームをすれば、おそらく試合は23時過ぎまで続くであろうということで、後半のインドの攻撃が始まったころからポツポツと友人たちがやってきた。
ちなみにスリランカは274ランで打撃を終えていた。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-乾杯
インド人3人+バングラデシュ人1人=全員インドサポーター

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-サポーター
彼もインドサポーター


インドは打撃開始後まもなく、大きな期待を背負ったバットマンがウィケット(アウト)となり、インドサポーターの期待に不安の影を落としての出しとなった。

しかし、その後インドは順調にラン・レートを保ちながら攻め上げていき、最後は緊迫した状態が続いた中での6ラン(野球のホームランみたいなもの)で、みごとな勝利をおさめたのだった。
残りターゲット3ランでの“さよなら6ラン”!
バットから押し出されたボールがフィールドに大きなアーチを描いていき、勢い衰えることなく伸びていくボールの軌跡を追うように、「ォォォォォォォオオオオ~~~~~~ウワァ~~!」と期待の叫びが勝利確信の歓声へと変わっていった。
ボールがフィールドを越えてインド優勝が決まった瞬間、私たちも大きな歓声、というか雄叫びを上げて抱き合って喜んでいた。

最終スコア、インド 277 - 274 スリランカ

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-インド優勝
フラッシュの嵐の中で肩をくむインド選手たち。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-花火
スタジアムでは祝杯の花火が…


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-トロフィーを手に
トロフィーを手にフィールドをまわる。



優勝トロフィーを手にし、インド選手たちがシャンパンをフィールド高く吹き上げている様子を見ながら、私たちはとっくに日付を回ってしまったヴィクトリー・ディナーを楽しんだのだった。

ラストバッツマン、ドニーに乾杯!!!



ちなみに、街の空き地ではワールドカップ開催期間中こんなふうに簡易シアターが設置され、人々が集まって試合観戦をしていた。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-屋外観戦


その後ろでは子供たちの白熱したクリケットゲームが。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-子供クリケット


そして、スクリーン裏にはスラムの子供たちが…

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-劇場裏

実は先月半ば、我が家のコックのスクマルが解雇となっていたのです。
理由は…諸々あるためここでは省略。

スクマル最後の日からしばらくして紹介されたのは、約半年前にバングラデシュに帰国したという少し年配の男性だった。

名前:ロザリオ
宗教:キリスト教
年齢:47歳(自称)
家族:妻・既婚の娘・学生の息子
コック経験:クウェートにて合計11年、その後ドバイのアーミーキャンプキッチンにて4年間コックとして勤める。


アラブに長くいただけあって、スパイスの使い方がインドやバングラデシュに比べてマイルドで、私としては久しぶりに家でほっとする料理に巡り会えた感じがした。
彼は、大量にココナッツを使ったり、全ての料理が黄色一色になるようなターメリックの使い方はしないのだ。
また、料理の仕方もとても丁寧で、キッチンまわりは常にきれいにしていて清潔感もある。

人柄はとても穏やかで謙虚。
若干上目づかいで話す姿は、どこか“雨にぬれた子犬”を連想させるもの悲しさも帯びている。

「ロザリオ~!」と呼ぶと、スペインやポルトガル風の、日に焼けた肌にくるくるとカールした髪の毛を洗いざらしのまま乾燥させた、ちょっとしたイケメン男子が目の前に現れてきそう…という勝手なイメージがチラついてしまうが…

我が家のロザリオはこちら。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ロザリオ

かつてボシル、そしてスクマルが立っていたキッチンにて。


既に私は気に入りはじめているロザリオだけれども、実はまだ使用期間中で、お給料や諸々の待遇などについてはこれから話し合うという状況なのだ。
私としては、一緒にいてとてもピースフルな彼に、是非うちで働いてもらいたいなぁと願っている。
今日、仕事が終わって外に出ると、いつもいるはずのイドリス(ドライバー)がいない。
夫の会社のスタッフのアージュンから連絡があり、イドリスは大渋滞にはまっていてあと40分くらいかかるらしいという。

これは40分ですむはずはないと思い、私は自分で運転して帰るからそのままバスを乗り換えて帰っていい旨を伝えた。

日曜日はグルシャン、ボナニ地区のお店は休みのため、いつもの道は大きな渋滞もなく、私はオレンジ色の太陽を遠目に見ながら音楽をかけてスムーズに車を走らせていた。

エアポートロードまであと100メートルというところで、長い列をつくり車が止まっていたため、私も前の車に倣って停車した。
左カーブで先がよく見えないが、反対車線からは止めどなく車が流れてくる。
待つこと5分、10分…車はいっこうに動かない。

しびれを切らし列からはずれてUターンしていく車、ただでさえ狭い道の端っこにはい出して前へ進み途中で左折して別の道へ歩みを進めていく車もチラホラ。

いつまで待つんだろう。。。。

時間はいくらでもあった。
でも、私の車のガソリンの残量はかなり微妙なラインまで下がっていたのだ。
私は窓を開け、エンジンを止めて待った。

15分が過ぎ、再びアージュンから連絡があった。

「○○○でエアポートロードは完全にブロックされているから、バリダラかビッシュロードの方から来た方がいいです」

どうしよう。。。。エアポートロードはもう目と鼻の先なのに、Uターンして永遠と違う道を辿って少し先のエアポートロードまで行くのか。ガソリンがもつかな。。。。
イチカバチかだ。

「分かった、別の道から行ってみる」

長々と話している時間はないので、そう言って私はすぐに電話を切った。
実は、私の携帯のチャージもあと何分話せるかどいうか…といったかなり瀬戸際だったのだ。

途中でガス欠で止まって、その上携帯まで使えなかったら大変なことになるぞ。。。。

とにかく私は列から抜け出してUターンをした。
他の道といったって、抜け道に詳しいわけではない。かといって再び大通りに出て渋滞の中を進むのもリスクがある。
私は、以前一度だけイドリスが通ったことのある道の記憶を頼りになんとかバリダラDOHSまで行くことができた。

暑さと焦燥で汗がにじんできた。
狭い道を両車線車がすれ違い、その更に脇をリキシャが列を作って前後左右車間距離は数十センチ。
途中、ガガガッと私の車の左前を引っ掻く音がした!!!
見るとリキシャワラは、いかにも私が悪いかのような顔でオイコラッ!といったジェスチャーをしてきたので、
私も「そっちが悪いんだろ!」というサインを送り返す。
でも、喧嘩をしている暇はないので、追い払うように手を振ってとにかく進み続けた。

ようやくエアポートロードへ抜け、既に渋滞が緩和されつつある道を私はバングラ人なみの図々しさで飛ばした。
(さすがにちょっと荒い運転だったかもしれない)
軽渋滞の直線道路は一番危険だ。
皆がスピードを出しながら、我れ先にと車線を超えてカーチェース状態になるからだ。
特にバスは、まるで大きい物が道を制すとでも言わんばかりに、相手が止まることを前提に押し迫ってくる。
バスは大抵既にボコボコになっているから、ちょっとのかすり傷なんて気にしないのだ。

カーチェースに夢中になって、途中ガソリンスタンドを見落としたことに気づいたが、その時点では家まではなんとか持ちそうだと判断できたので、そのまま自宅へ直行。

会社を出てからおよそ1時間半、わずかなガソリンと携帯チャージを残して私は無事に家についたのだった。

ちなみにこの渋滞は、前首相(現在最大野党の党首)が海外から戻ってきたということで、空港周辺の厳重体制が原因だったようだ。ただでさえ渋滞都市なのに、そんなことでいちいち道路封鎖されては本当に迷惑な話だ。
もう一ヶ月半以上も経ってしまったが、
2月19日、クリケット・ワールドカップ初戦「バングラデシュvsインド」に行ってきた。
(現在もワールドカップは進行中なので、ネタ的にはかろうじて賞味期限内)

初戦で、なおかつバングラデシュvsインドということで、開会式以上にチケット入手が困難と言われていたチケット。
実は試合の2日ほど前に夫の知人から、チケットあるからおいでよ!と急な誘いを受けたのだった。

19日当日、私はDCCマーケットでバングラデシュのチームTシャツを購入し、集合場所である知人オフィスへ。
既に観戦メンバーは揃っていて、私たちが到着するなりすぐの出発となった。
ミルプールにあるスタジアム付近は混雑が予想されるので、ドライバーのいる車2台に乗り込んだ。

案の定、スタジアム付近は既に厳戒態勢で、チケットを持たない人たちもスタジアムを取り囲み、彼らの人生で二度とあるかどうかわからない記念すべきワールドカップ第一戦の現場に立ちあいたいという人たちの熱気であるれていた。

私たちは途中車を降り、会場入り口まで徒歩で進む。

絵の具を手にして顔にバングラ国旗や地図などのペイントをしてくれる人や、バングラ国旗やはちまき、応援グッズなどを売る人たちが、さらにテンションを高めてくれる。
ちなみにこのペインター、急にやって来て筆を顔の目の前に持ってきながらせかすように曖昧な許可を取って顔にペイントはじめてるのだ。そして最後はやっぱりチャージを取られる。

ここからスタジアムへ行く数十メートルの間に、私は3回もテレビの取材を受けた。
バングラに来てテレビに出るのは、実はこれで3回目(笑)。
(その日の夜、ニュースで私を見たという友人から電話がかかってきた)

ちなみに今回のインタビューのうちのひとつに、「今回のバングラデシュワールドカップにあたり、セキュリティや全体的なオーガナイズには満足していますか?」という質問があった。
ブライアン・アダムスのコンサートの時も、今回の試合でも感じたのは、アジア最貧国のひとつと言われ続け、ここ数年縫製産業を中心に急激に経済成長をとげているここバングラデシュでは、人々のマナーや秩序を気にする人たちがとても増えてきているということだ。
もはや貧国ではないという意識と自信が、国際的なスタンダードや国民意識の成長をを意識させているのだろう。
しかしそれは、ある階級以上の人たちの中での強い自意識であって、その自意識は同時に、そこから取り残されている人たちへの差別意識を助長しているようにも映る。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-RAB
RABも並んで厳重体制。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-旗を立てた人
頭に旗を立てて…

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ハシナ
シェイク・ハシナ首相も敬礼。

ユニフォームTシャツにフェイスペインティングを施して、会場ではワールドカップキャップまで買ってやる気満々でスタジアム入りした私、実はクリケットを見るのははじめてでルールも全く知らなかったのだ。
しかし、平均およそ6時間にも及ぶ長い観戦時間に少しずつ解説をしてもらえばまったく問題ない。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-選手入場
選手入場…。インド、バングラデシュの旗がフィールドに輝く。

先攻先守のコインをとったバングラは後攻を選び、インドの攻撃から始まった。

クリケットはボーラー(投手)がいてバットマン(打者)がいるという点においては野球と類似しているが、野球のように守備と打撃が短時間で繰り返されるのではなく、前半は約3時間片チームが永遠と攻撃し続け、後半は逆チームの攻撃となり、永遠と6~7時間近く繰り広げられるのだ。
もともとは途中にティータイムをはさみながら何日もかけて行われる英国のロイヤルゲームだったのが、今では時間や投球数を制限して一日完結のゲームに短縮されている。とはいえ、今回のワールドカップは片チーム300ボール50オーバーで、平均試合時間6時間。

会場はさすがにバングラデシュサポーターの勢いが強く、インド側はかなりアウェーな雰囲気で、インドフラッグもやや控えめな感じだった。前半インドは370ランで終了。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ピエロ
頭からつま先までバングラデシュのフラッグカラーに!

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-座る女性警備員
女性警備員。階段に座って試合観戦。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ナマズ
試合中でもお祈りは忘れずに…。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-スタジアム外
会場の外にも群衆が。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-牢獄売店
スナック等を販売する売店。
牢屋のような柵はセキュリティのため?


休憩を挟み、バングラデシュの攻撃。自国民の大きな声援に支えられてかなり好調な滑り出しとなる。
はじめはどんなバッティングでも観衆は沸き立ち、インドのボーラーが投げる時にはウ~~~~~とアオル。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-スクリーン

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ナイトスタジアム
日が暮れるとライトがフィールドを照らしだす。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-盛り上がる観衆
盛り上がる観衆。


しかし、次第にバングラ側のバッティングレートは衰えはじめ、40オーバーを超えた勝敗が見え始めた頃からは客席にもかなりの空きが目立ってきた。
きわめて正直な、感情に素直な反応というか…。
という私たちも、試合後の渋滞を避けるために、最後3オーバーくらいを残したところで会場を後にした。

結局バングラデシュは283ラン獲得にとどまり、第一線はインドが制したのだった。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-スタジアム
ミルプールスタジアム。


最近…

蚊の幻覚を見るようになった。

あまりに刺されるので、

あまりに殺し続けるので、

サッと視界で何かが揺らめいただけで、ハッと反応してしまうことがあるのだ。

時には、ブ~~~ンという幻聴が聞こえたことも。

ちょっと病気だ。

刺されるままにしていればいのだろうか。

マラリアやデングにならなければいいじゃないか…と開き直ればいいのだろうか。

いや、やっぱりそれはできない。

血が欲しいならあげるから、とにかく刺さないでほしい。

あ~、やっぱりモスキートネット買いたい。
先週から続いていたオフィスの断水が、ようやく解消された。

停電には慣れていたものの、断水はやっぱりつらい。

毎日タンクで運ばれてくる水を、皆で節水しながら使っていたのだ。

断水当初から一週間と言われていたけれど、予定通りことが運ぶなんて誰も信じていなかった。

バングラでは、不便が当たり前であると同時に、不便であることに対して文句を言える相手がいないのだ。
言っても仕方がないし、結局はサービスを提供する側が強いので、言われるままにただ黙って待つしかない…ということのほうが多いのが現状だ。

そう考えると、計画停電や買い占めによる食料不足などで市区町に苦情が殺到している日本は、それだけ政府やサービスを提供する側への期待が持てる環境なのではないかと思う。
そして提供する側も、すぐに要望には応えられないまでも、少なくとも人々の意見を聞いて対応しようとする姿勢がある。

人は、全く望みがないときには反論、反発すらしなくなるものだ。
「日本で大きな地震があって大変なことになってるよ」

「ふ~ん。日本は地震国だから、地震は日常茶飯事だよ」

「でも、TSUNAMIも発生していて、、、、やっぱり結構大惨事だよ」



11日は金曜日のためバングラデシュは休日だった。
CNNやBBCでは、まるでスローモーションのように建物や車を飲み込んでいく津波や、、千葉のガスタンクの火災シーン、想像以上の大きな揺れに戸惑う人々の姿などが立て続けに映し出されていた。

私は、日本の家族に連絡を取り、親戚を含めて安否を確認した。
幸い皆無事だった。

時間が経ち、
少しずつ、日本の友人にも連絡を取り始めた。

「地震国日本とは言え、今までに経験したことのないほどの大きな揺れで怖かった」

皆が口々にそう言っていた。

私にも、日本やダッカ等の友人知人から、私の家族の安否を気づかうメールが届き始めた。
会う人会う人が、日本の惨事に対して心配と同情の言葉をかけてくれて、街ですれ違った見知らぬおじさんにも、今回のことに本当に心を痛めていると声をかけられた。


でもやっぱり、ここではいつもと何も変わらない日常が続いている。


一日が過ぎ、数日が過ぎ、ダッカでも人々の関心は福島の原発の行方に向けられてきている。
少しずつ、少しずつ、ヘッドラインニュースにもリビア空爆など別のトピックが戻ってきた。

私は、つい先日のニュージーランドでの大地震のことを思い出していた。
今回の日本での地震、津波によって、いやそれ以前から、ニュージーランドの地震についての被害情報はニュースからも紙面からも消えていったなぁ…と。

私たちが、災害や内戦、餓えや病に苦しむ人たちを見ながら、ビール片手に「大変だね」「かわいそうね」と言っていたように、遠く離れた場所では、テレビの中でおこっている出来事にリアリティを感じないのは仕方のないことで、それに対して誰かを攻めることはできないのだ。

それでもやはり、あたたかい声をかけられたり、刻々と変わりゆく現状に関心をしめしてくれたり、日本人の対応に対して肯定的なコメントをもらったりすると、とてもありがたいなと思う。

そして日本人である私は、やはり「頑張れニッポン!」と思うと同時に、何があっても、時間はかかっても立ち上がるであろうと、日本の底力を信じているのだ。
日本を離れると決まってから、毎日見慣れた景色が違って見え始めたように、ダッカに腰をすえて住むと決まってから、ダッカの景色も空気も匂いまでもが、それまで旅行で訪れていたときとは違って感じる。
それは月日が経つにつれて少しづつ..というのではなく、そうきめた途端に何か違うフィルターがかかったようになるのだ。
もしも2~3年の駐在という前提だったら、また違った景色にみえるのだと思う。

旅人として見るのと、期間限定で滞在するのと、無期限で腰をすえるのとでは、同じ場所が自分にとって少しづつ、あるいは大きく違う意味合いを帯びてくるからなのかもしれない。
きっと、その場所との関わり方が、無意識のうちに自分の中にフィルターを作り出しているのだろう。

ダッカに来る前、私は、「まずは2年間のダッカ駐在勤務」といった気分で過ごしてみよう!と思ったりもした。
その2年間が更に延長、また延長で結果的には10年も過ぎてしまった。。。っていう感じで過ぎていってもいいんじゃないかなぁと。
でも、当然頭はそんなに都合よく催眠術にかかってくれるわけはないのだ。


今日夜、久しぶりに雨が降った。風も強く、遠くで稲妻が走っていた。
ちょうどエアポートロードを走っていた私は、そのまま空港へ向かい、駐車場に車を止めて、HAZART 国際空港の赤いロゴを眺めながら、しばらく車の外に立っていた。
風がとても気持ちよく、なんだかとても懐かしいにおいがした。
梅雨入りしたばかりの日本のにおいのような、何年か前に旅行者としてダッカを訪れたときの雨の日のにおいのような。。。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-空港01

雨は大降りにはならずに、それから30分ほどで止んでしまった。
その後は、すっかり埃を洗い流されたダッカの澄んだ空気が涼しい風となって私の車をグラグラと揺らしていた。
なんだか気持ちがす~っとした。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-空港02

バングラに来て以来、初のヘアーカットをしてきました。
つまり…およそ8ヶ月ぶり!というわけです。

私の髪はすっかり伸び放題で、毎日ダッカの砂埃でパサパサの無法地帯となっていたので、私は大抵毎日髪をひとつにまとめていたのです。

しかし、2~3ヶ月前に髪を下ろしていた私を見て夫が…

「髪切った方がいいんじゃない。。。。なんか、日本のテロリスト…誰だっけ?えっと…ASAHARA?みたいだよ」

確かに的を得た意見だが、もっとインド人らしく「インドのサドゥみたいだよ」とか言えないのか!?

ということで、髪を切るという決意だけはもう2~3ヶ月も前にしていたのだ。



ダッカでとても有名なチェーン店「Persona」は、とてもキレイで技術もあり、知り合いも行っていると聞いていたので、私も迷わずPersonaに決めた。
うちの近くのPersonaはよく行くスーパーの上の階にあった。
なぜ今まで気づかなかったのだろう。。。

サロンはとても広く清潔感もあり、部屋に並ぶ鏡台の数からもその繁盛ぶりが伺える。

前金制で、代金はカットの種類によって分かれているから、受付で髪型を決めて注文しなければいけないのだ。
まるで、チケット制の吉野家の牛丼みたいだなぁなんて思いながら、私はカタログを見つつカットを選んだ。
私が選んだヘアスタイルは、簡単に言うと、全体をカットして段を入れる…というシンプルなもので580タカ(約700円)。
その他にも、“カットして段を入れている”類いのカットがあったのだけれど、そちらは390タカ。
確かにヘアスタイルが違うのは分かるけれど、この190タカの違いはよく分からない。。。。。

まずはシャンプー台へ。
頭の扱いが若干雑なところもあるけれども、水が入らないように耳に綿を入れて、髪もきちんと洗ってくれていた。

私のカットの担当は、モンゴロイド系の顔をしたクリスチャンの女の子(ベンガル人ではない他の民族)。

外国人で初来店、しかも天然パーマのため髪の長さや段について何度も確認をしていたせいか、彼女がカットをしている間中別のユニフォームを着たサロンのマネージメント部門の女性が終始横について見守っていた。

久しぶりのカットということで、私は(私にしては)結構バッサリと切った。
後ろは15センチ弱のカットだけれど、段が入っているので、見た目の印象としては結構短くなったように見えるのだ。
ダッカに来て伸びた分を全て切り落とした…という感じかな。

ブローもカーリーヘアーを丁寧に伸ばしてくれて、彼女のサービスには十分満足だった。
横に立っていた女性は私が満足したのを確認して、また来てくださいと言って去っていった。

私は、これからもおそらくここに来るだろうと確信して帰ってきたのだった。
今日から、夫の日本語クラスがスタートした。

毎週日曜日、1時間半の授業。

近くに住む知人の日本人女性に、ボランティア的な価格で授業をしてもらえるということで、夕食付き!ということで話がまとまったのだ。

仕事も忙しいので、まずは週1回きちんとコンスタントに続けることを目標にスタート。

とりあえずは日本語に少しでもなじむ…という軽い気持ちで、はじめの一歩を踏み出したところです。

うちの一番大きな空き部屋は、週2回の私の英語の授業と、週1回の彼の日本語の授業で、すっかり勉強部屋となっています。

私ももっと英語もベンガル語も頑張らないと。。。。

ちなみに私は、先日英語の先生から渡されたシドニー・シェルダンの本「The Naked Face」を読み終わりました。

本を読んだり、映画を見たりするのが一番の勉強方法なんですねぇ。