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Appadiyah* ~ in India ~

南インド出身のドラヴィダ人の夫と共にタミルナドゥ州コインバートルに在住。
“Appadiyah”とは、タミール語で「へぇ、そうなんだぁ」「へぇ、ほんとに~!」という意味の感嘆語。なんとなくその言葉の響きが好きなのでブログのタイトルに。

1975年8月15日、バングラデシュ初代大統領シェイク・ムジブル・ラフマン(現首相シェイク・ハシナの父)とその家族が暗殺された。
そのため、この日はNational Mourning dayということでバングラデシュの祝日になっている。
聞いた話によると、野党党首のカレダ・ジアは、この日にあえて自分の誕生パーティを盛大に祝っているとかいないとか。(本当の誕生日ではないのにそこまでするとは、やっぱり子供の喧嘩のようだ)


そして遡ること28年、1947年8月15日はインドがイギリスから独立した日「独立記念日」でもある。
この日は、朝9時からダッカのインド・ハイコミッションによる独立記念セレモニーが行われた。
決して大げさなものでもなく、簡易設営された屋外テントで大使の挨拶や歌など簡単な催し物があり、その後朝食が振る舞われる。
このような国の行事というのは、その国の国民にとっての集いの場になっていて、この日も約250人ほどのインド人がこの式典に顔を出していた。

さて、日本は原爆投下から約一週間後の1945年8月15日、天皇陛下が日本の降伏を告げたことで戦争の終焉を迎えた。
この日本の終戦日は、日本の統治国だった韓国にとっては日本から解放された記念日「光復節」でもあるのだ。

インド独立記念式典を終えたその足で、私たちはPhDのリサーチのためにバングラデシュにやってきた、日本の大学在学中の韓国人の友達をピックアップして我が家に連れてきた。
彼女とは日本を発つ前に少しだけ参加したベンガル語のクラスで知り合ったのだ。

夫の日本語の先生のご主人がお盆休みを利用してバングラデシュに来ているということで、先生ご夫婦も一緒に我が家でランチを。
そして、夜はインド人カティック宅に呼ばれていたので、韓国の友達も連れだってバリダラにあるカティックの家へ。

インド=独立、韓国=解放、日本=終戦とこの同じ日を記念日に持つ3カ国民が、同じ日に初代大統領暗殺に黙祷を捧げるバングラデシュにて夕食を共にしたのだった。
あ~、ギター弾きたいな~!!!

ベースじゃなくてギターやってればよかったな~、

ってよく思う。

ベースはバンドで弾いてるぶんには楽しいんだけど、一人では楽しめない。

やっぱりギター買おうかな…。

実家に使ってないギターが2本もあるのに、どこでも弾けるアコギが欲しい。(エレアコがいいかな)

一人で地道に練習しててちゃんと続けられるのかなぁ…なんてちょっと弱気になったりもするけど…これまでにも何度も何度も同じ衝動にかられたということは、やっぱりやりたいんだろうなぁ。

インドで買おうか、それとも日本で買おうか…。

なんか、バンドやりたいなぁ。
まだ具体的な日程は決まっていないけれど、この秋には日本に一時帰国しようと思っていて、
特にやることもない休日の今日、邦楽特集を聞きながら日本に帰ったらやりたいことを考えていた。

まずはやっぱり温泉!
2~3回は遠くの温泉へ、普段は家の近くの温泉に通う!
そして山や川…自然のあるところに行きたい。

それから、おいしい物をたくさん食べたい!
おいしい日本米、生卵、納豆、鮭、サンマの塩焼き、牛乳、新鮮なお寿司(生魚)、焼き肉、、、、、
やっぱりこっちでは手に入らない素朴な日本食が食べたくなるんだなぁ。

平日の昼間に一人でカラオケに行って歌いまくる。
みんなが仕事して誰も相手にしてくれない時間帯をねらって、
カラオケに行って歌いまくりたい!

音楽収集。
洋楽、邦楽、オムニバス…
TSUTAYAからCDを借りて、i-tunesにおとして持ってくる。

ダンスの先生のスタジオに行ってまたみんなと一緒にレッスンを受けて、
そして先生のエネルギーをもらってきたい。

六本木のアビーロードに行く。
私の青春のシンボルBeatlesの最強コピーバンド「パロッツ」が演奏するアビーロード。
一時は足繁く通ったあのアビーロードに顔を出さずにダッカに舞い戻ってくるわけにはいかない。

そして、限られた時間だけど友達にもたくさん会いたい。


なんか、日本にいたときには普通にやっていたことばっかりだな。
家族と同じで、なんでもない当たり前の日々こそ、何にも替えがたい大事な存在になっていたりするのだ。
無い、無いだらけのダッカにも、私にとっては今では当たり前の毎日の生活があるわけで、これがまたかけがえのない時間になっていってるわけかぁ。。。。だからまあ、時には悶々とした生ぬるい壁に閉じ込められたような気分になったりもするけれど、やっぱり今ある生活は大切なわけなんだなぁ。


あ~、それにしても音楽はいいなぁ。
いろいろな芸術があるけれど、音楽ほど人の心にす~っと、時には暴力的なまでに直接的に訴えかけてくるものってないんじゃないかな。
そして、音楽は単に好き嫌いだけで片付けられないのだ。特に時間が経てば経つほど、同じ曲が違う意味を持って一人歩きしたりする。いや、一人歩きどころか、むしろ思いっきり主観的で感情的になっていくのかな。
なんにしても、世界中にはまだまだ私が知らないいい曲がたくさんあるわけで、もっといい曲に出会いたい。
卵がなくなったので、近くのスーパーに500タカ札を2枚ポケットに入れて買い物にでかけた。

バターやマンゴージュースなどもカゴに入れてレジへ。

合計504タカ。

細かいお金がないというと、

ん~と一瞬困った顔をして、

カチャカチャとレジを打ち直して504タカが409タカに。

路上のカチャマーケットでなくても、こういうことはよくある。

あのアゴラでも、端数が切り捨てられたり、逆に切り上げられたりということは当たり前。

特に、肉、野菜、果物などの食品は量り売りなので、金額に端数がでてしまうのは仕方がないことなのだ。

今日みたいに得することもあれば、1タカ2タカ戻ってこないこともある。

でも、こっちでは1タカ、2タカで文句を言う人は誰もいない。

それは決して1タカをバカにしているわけではなく、お互い様だからなのだと思う。






バングラデシュでは、ヒンディ(インド)映画や、ハリウッド映画は1ドルで手に入るにもかかわらず、日本映画は未だに市場でお目にかかることはない。
だから、日本映画やドラマが観たければ、知り合いなどのつてで入手したDVDをありがたく観るしかないのだ。

でもそのおかげで、自分では絶対に選ばないであろう映画やドラマが、ラマダンタイムでできた夕刻の空白スペースを埋めてくれているのも確かだ。

私は昔から月9ドラマなどをほとんど観たことがなかった。
翌日学校で昨晩みたドラマの話で持ちきり…なんていうことも私の周りではあまりなかったので別に何の不便も感じたこともない。
ただ、音楽や映画やドラマ、流行のものなど、その時代のものに何気なくでも触れているのは、なんか純粋にいいなと思う。
それは別に誰かと昔を懐かしむためということではなくて、ただ単純に自分の中で自分が生きた時代のにおいがより深く感じられるからなのだと思う。

私は「先取り懐古主義的」なところがあってで、今に生きながらふと未来の自分の目線になって今を懐かしんでいるような、そんな感覚に陥ったりする。
まあ、単に私の思考の癖のひとつにすぎないのだけれど。

とまあそんな前置きはさておき、私が最近観た和物DVDはこちら。


CD「プロポーズ大作戦」
大好きだった幼なじみに自分の気持ちを伝えることができず、彼女(長澤まさみ)がいよいよ別の男と結婚してしまう時になって心底後悔をする主人公(山下智久)。そんなときに現れた三上博扮するエンジェルの力で過去にタイムスリップして、新婦の横に立っているのが自分になるように人生を変えようと試みる、、、といった内容で、まあ正直面白いとは言い難いのだけれども、結局最後まで観てしまった。


CD映画「NANA」&「NANA2」
ミュージシャンを目指して上京するナナ(中島美嘉)と、美大生の彼氏を追って上京する別のナナ(宮崎あおい)が新幹線でたまたま隣り合わせ、その後さらなる偶然がきっかけで一緒に暮らし始める。
生まれ育った環境も性格も全く正反対の二人が、二人をとりまくバンド(音楽)との関わりの中で翻弄されながら友情を深めていく。それぞれが異性に対して抱く愛とは別の次元で二人のナナの間に育まれる愛情ともいえる友情が、この映画の不思議な魅力となっているような気がした。思っていた以上によかった。


CD「ロングバケーション」
まわれま~われメリゴーランッ♪
久保田利伸の「La La La Love Song」を背景に、キムタク、山口智子、竹野内豊、松たかこ、りょう....と豪華キャストが揃ったあの「ロンバケ」。
こればかりは、「ロンバケ」「ロンバケ」と話題になっていながらも全くついていけずに、ちょっと気になっていたドラマ。
15年の歳月を経てとうとう私の元に巡ってきた。
感想は「あ~、これがあの噂のロンバケなんだぁ」の一言につきる。
過去を振り返ったときに欠けていたパズルのピースのひとつが埋められた感じがして、とにかく観たことそのものに満足できたドラマだった。

一ヶ月ぶりに、こんにちは。

長~い沈黙の理由は、ちょっと体調を壊してしばらくお休みしてたら、だんだんブログ書くのも面倒になってしまったというだけのことでした。

ぼ~っとしている間に月まで変わってしまい、
バングラデシュではラマダン(断食月)がスタートしてしまいました。
ちなみに、バングラではロジャと呼びます。

太陰暦にそったイスラム歴によって決められているラマダンは、毎年約11日ずつ早まっていって、33年で一巡するのだそうです。
バングラデシュは、これから毎年少しずつ暑~い暑~い時期に向かってラマダンがずれていくわけで、冷房のない場所で過ごす人にとっては過酷な断食になっていくわけです。
とはいえ、7月を過ぎれば日照時間が少しずつ短くなっていくので、断食時間は多少軽減されていきますが。

ただし、病人や子供、妊婦や肉体労働者など、何らかの理由のある人たちは断食が免除されるようで、そこはやっぱり神様。
その柔軟な計らいには人ごとながら一緒に頭をさげたくなります。


ラマダンは新月の日から始まります。
天文学的に新月の正確な日を割り出すのはまったく難しいことではないのですが、、、、ここバングラデシュでは、今でもイスラムの長老たちによる月観測委員会なるものが存在していて、彼らによる目視観測によって初めてラマダンのスタートが告げられるのです。
そのため、前日どころか当日になっても夜になるまで開始の行方が分からず、雲や雨によって月が観測できなかったりすると翌日、翌々日にずれこむこともあるわけです。
ちなみに、夜中の発表を知らずに朝普通に起きて朝食を食べてしまったなんていうエピソードもあるようです。

断食とは言っても、ラマダン期間中完全絶食ということではなく、日の出から日没まで、つまり太陽の光に照らされている間のみ飲食を断つのです。
人によっては自ら分泌した唾すらも飲み込まずに吐き捨てる人もいるとかいないとか。

また、バングラの政府によってラマダン期間中の就業時間は朝9:00~15:30までと決められています。
工場や個人ビジネス(中小企業)などは、そんな悠長なことはいっていられないため通常通りに営業しているところも多いようですが、政府機関や公務員、インターナショナルな企業は一応政府の意向に沿った時間で進んでいきます。
ちなみに、私の会社も15:30上がり☆
断食もしないくせにムスリムのラマダンにあやかって早く帰るのは、、、、やっぱり嬉しい。
(とはいってもランチタイムの大幅カットなので、実際の就業時間は1時間も変わらないのだけれど)

夕方6時半をまわり、西の空に沈んでいった太陽の余韻であたりにブルーフィルターがかけられると、みなが一斉にイフタールというスナックのような軽食を食べるのです。
水、デーツ、ムリ(パフライス菓子)、ジェラピー(甘~いお菓子)、その他揚げ物などで、長い一日の断食の後に食べるにはちょっと重いような。
イフタールを終えて、お祈りをしたら今度は本格的な夕食の時間。
これがまた油をたっぷりと使ったものばかりで、それを夜と翌日の夜明け前にたっぷり食べるのです。
ラマダン中のイフタールはお客さんを呼んだりお呼ばれになることが多くて、一日の断食の後の楽しいのイベントのような感じなのでしょうか。(宗教関係なく友人・知人と一緒にイフタールを!という感じです)

これから約一ヶ月このラマダンシフトが終わると、その後はイード休暇が待っています。
私は一年ぶりのインドへ!


本日、明日、そして日、月と今度は4日間のホルタルです。
金土の休日をはさんでバングラデシュ全土は実質6連休に。

もちろん、工場や一部の企業は営業しているところも多々あります。
そして、私のオフィスでもとうとう振り替え出勤命令。
水木のかわりに金土出勤、日曜のかわりに来週の土曜が出勤日にというアナウンスが。
確かに、雇用者側からしたらホルタルは営業妨害以外の何者でもないわけです。

暴動が起こるのは一部の限られた場所なのですが、突発的に何処で起こるか分からない上に、
バスや自動車などが攻撃の対象になりやすいということで、交通機関はほぼストップしてしまうのです。
昨日もバスが何台か燃やされていたようです。


さて、我が家でも大家S氏によるガス・ホルタルは3日目を迎えました。
こちらは期限が提示されていないので、いつまで続くのか予測不可能。

ガスがないと料理ができないため、昨日はガスタンクを購入。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ガス
「ハロー、ジョン!」

あ~、やっと言えたこの一言。

長年ジョン・レノンファンでありながら、
今まで“ジョン”という名の人に会ったことがなかったなんて。

公園のカナダ人リオの相方の名はジョンだったのだ。

先日、カナダへバケーションに行ってしまったリオの代わりに
私が臨時の相方としてジョンと一緒に公園を廻ったのだ。

ジョンは、真面目な表情をそのまま固めてしまったような顔をしていて、
さわやかな笑顔のリオとは対照的で、ちょっと気むずかしい印象があった。
実際に話してみると、真面目だけれども決して自ら目に見えない壁を作ってしまうようなタイプではない。
ただ、やはり表情は常に一定で、きっとあまり笑うことのない人なんだろうと思った。

人の顔の表情とは、その人の感情表現にとても素直なのだと思う。
しかし一方で、それは必ずしも心の表情の豊かさとイコールではないのも確かだ。

ジョンもリオ同様にすでに現役からはリタイアしていて、
大使館に勤務するスリランカ人の奥さんの仕事の関係で、現在はダッカに住んでいるという。
ジョンもリタイア前は約35年間カナダ大使館勤務をしていて、1977年からの約3年間はダッカ配属となり、独立からまだ間もないバングラデシュを見てきた人の一人なのだ。

40分ほど一緒に歩いて、私はジョンと別れてオフィスに向かった。

別れ際に

See you John !

と言いながら、
ほんの束の間、変な気恥ずかしさのようなものを感じている自分にちょっと笑えた。

遠い憧れのジョン・レノンの存在が、
今更ながらにこんなかたちで私の心をくすぐって、
と~おい、と~おい昔の幼い私が顔をちらつかせるなんて。

そうやって時々、つむじ風みたいに一瞬かすめていく思いが、
湖面にサラサラっと波紋を描くように、瞬間的に人の心を揺らしたりしながら、
思いというのは、無意識に時間を超えて行き来しているものなのだろう。
本日午後1時から、我が家のガスが止まった。
というよりも止められた。

誰に?
アパートの大家に。

正確に言うと、このこのアパート全フロアーのガスがストップしているのだ。

家賃滞納…
ではありません。

バングラでは大家と住民の間でのトラブルはよくある話だが、
我がアパートメントでは、度重なる大家S氏の理不尽な設備費値上げに、住民全員(全4軒)が抗議。
その仕打ちにとうとう大家がガスをストップしたというのだ。

そもそもここの住民は私の夫を含め、大家の親しい友人や親戚が集まっている。
にもかかわらず、、、、
後に知った話によると、S氏とビジネスやお金が絡むんだ関係になった人からは極めて評判が悪く、そのせいで古くからの親しい友人を失ったりもしているそうだ。

我が家は入居契約時点から、
「まあまあ、僕たちの仲にそんな堅苦し契約書なんて水くさいこと言うなよ。友達じゃないか」
と言って契約を交わそうとしなかったのだという。
その後、何かと理由を付けては少しずつ少しずつ家賃を値上げしていき、施設費の値上げについても同意していないのはうちだけだといったことをほのめかし続けてきたのだ。

しかし、数ヶ月前に階下に住む住民が血相を変えてやってきて、S氏の傍若無人な行動に対する怒りを我が家で爆発させていったことをきっかけに、アパートのケアテイカーとS氏による作り話と策略があらわになったのだ。

しかし、法があってもその法がなかなか機能していないバングラデシュでは、不正を訴えてもどうにもならないことが多々あるのだ。
というよりも、裁判に持ち込んだってきちんと動き出すまでに気の遠くなるような作業と遅延とすれ違いと権力と賄賂と…で、結局誰もわざわざ時間とお金、時には名誉や様々な人との関係を失う選択はしないのが現状だ。

雇い主と被雇用者では雇い主が強いように、大家と住民ではやっぱり大家が強いのだ。

ちなみに、銀行と借入者の関係で、借入側が企業の場合にはその重り関係がちょっと変わってくることがある。
つまり、L/Cをはさんだビジネスにおいて、銀行から現金を受け取った後に契約を破棄してそのまま受け取った返済しない…ということもあるという。

なぜそんな不正がまかり通っているのか。

それは、前述したように法が正しく機能していないからなのだ。

銀行も苦労が絶えないだろうけれど、私にとってはこのアパートのガス問題解決の行方が気になる。
ガスがなければ料理ができない。
幸い水と電気があるので、食事を外ですませればやってやれないこともないのだけれど。

さてさて、どうなることやら。。。。
4月23から30日までの8日間、私たちはヨガ&メディテーションセミナーに参加した。

アート・オブ・リビングといって、インドはタミールナドゥ出身のシュリ・シュリ・ラビ・シャンカール(グルジー=師匠)が設立したNGOで、このグルジーがスダルシャン・クリヤ呼吸法を考案し、インドにとどまらず世界各国へと広めていったのだ。

日本にも支局があるので、興味がある人はこのウェブサイトへ 

↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.artoflivingjapan.org/


私たちの先生サジーブは、南インドはケララ州の出身。
奥さんのドニーとはこのアートオブリビングを通して知り合い結婚にいたったという。

セッションは彼の自宅で行われる。
その場に漂う雰囲気は、日本人にとってはあのオーム心理教を思い起こさせるものがあるかもしれない。

目の前には長髪長髭、首に黄色い花輪飾りをかけたグルジー(シュリ・シュリ・ラビ・シャンカール)の写真が飾られて、その写真に花輪がかけられ、プジャのようなものが行われる。
(※プジャ=ヒンドゥ教のお祈り)
サジーブは白いクルタに身を包み、穏やかな顔で私たちの前に座っている。

これがまさに、白いオーム服(インドのクルタのような服)に身を包んだ一般信者たち、そして彼らが崇める長髪長髭の麻原の写真を連想させるのだ。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-Art Of Living
グルジーの写真の前に座るドニー。


サジーブ夫婦もグルジーであるシュリ・シュリ・ラビ・シャンカールを心から崇拝していて、部屋中に写真が貼ってあったり、グルジーの教えや魅力を私たちに説きつつ、グルジーから直接セミナーを受けることを推奨している。
新興宗教にアレルギーのある人にとっては、この点についてもちょっと違和感を感じるかもしれない。
しかし、インドはもともとヒンドゥ教の教えやヨガ、哲学、占星術…といったものが根付いている国であり、彼らにとってはその哲学やスタイルといった面でのハードルはないため、当然変な先入観はない。
私は、そういうインド人から習うことができたのがよかったと思っている。
つまり、後付けでスタイルや哲学を追うのではなく、まずはベースとしてそれらが体に浸透しているということ、そしてそういう人から学ぶことが私にとっては第一条件だった。

その上で、自分が何を学びたいかということをしっかり分かっていればいいのだ。
悪質な団体ではないこと、先生との相性、その教えの哲学と真理、そしてそこから自分が何を得たいのか…
それは、どんなものであっても何かを学ぶ時の共通要素だと思う。


このセミナー以外にもSatsangといって皆で集まってホーリーソングを歌う会や、満月の日の集会などもあって、参加者にはやはりインド人も多く見られる。
(Satsangはサンスクリット語の歌をみんなで歌うのだけれど、歌いながら半トランス状態になっている人などもいて、客観的に見ていると結構おもしろい)
インドではベジタリアンが多いが、このアートオブリビングも完全ベジを推奨していて、サジーブ夫妻もベジタリアン。
セミナー期間中は、私たちも完全ベジであることが求められる。
肉魚の肉、卵、動物のエキスが入っているものもNG。ただし乳製品はOK。

8日間のセミナーではグルジーの教え、呼吸法、簡単なヨガ、瞑想を習う。
ヨガと呼吸法は言ってみれば瞑想に入る為の準備みたいなものだと思う。
体をあたため血液の循環を良くし、それからゆっくりと瞑想に入っていく。

8日間毎日、朝は朝食前の簡単な呼吸法、夜はセミナーでヨガと呼吸、瞑想を行い、ベジタリアンを徹底した。
たった8日間では大きく何かが変わることはないけれど、それでも体の変化は私も夫も感じていた。

思うに、ヨガだけでも、呼吸だけでもなく、ヨガ、呼吸、瞑想、そして食事と、全てをバランスよく行うことで大きな効果が得られるものなのではないかと思う。
もちろん、なによりも大切かつ難しいのは続けること。
私は完全ベジになるつもりはないし、セミナー期間中のように毎日行うことはできない。
でも、サジーブの家で行われるヨガ・瞑想の集まりに週一回参加し、エアロビでエクササイズをし、食事もできるだけ意識していく努力はしてみよう…とは思っている。

今も世界中、日本でもヨガを習おうという人はたくさんいる。
ヨガはその発祥の地であるインドの哲学と深く繋がっていて、結局は健康で、愛と喜びの人生を生きるためのメソッドのひとつなのだ。
適度な運動、正しい食事、そして心の平和。。。。
つまり健全な肉体と健全な魂を磨いていこう!ということなのだと思う。
だから、それが必ずしもヨガである必要もないし、禁断症状に震えながらノンベジを克服する必要もない。
運動も食事制限も楽しく行って、心がハッピーでなければ意味が無いのだから。