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鉄でバスな小笠原44(ダブルフォー)のブログ

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7月4日(土)、自宅アパートの近くのコンビニで、ある試験の受験料を支払ってきました。



永年、受けたいと願いながら、


お金の工面がつかず、延び延びになっていた


“漢検”



…すなわち、漢字検定3級を受けることを決意しました!



小さい頃からアスペルガー症候群のわたしは、小学校4年生で父方の祖父に買ってもらった旺文社の中学高校クラスの漢和辞典を手にしたその日からマンガ代わりに読み耽り、


瞬く間に漢字のとりこに取り憑かれ、


小学校6年生のときには、担任の女性教諭に、


「鬥構え(とうがまえ)という部首もあるよ」


と言ったら、担任に「何だソレ?」と聞かれたりするほど、漢字にのめり込みました。




転機が訪れたのは、中学時代です。



通っていたのは、青い森鉄道矢田前駅が最寄り駅の東中学校でした。



入学したのが1986年、わたしは1年2組に配置されました。家庭科の田中伸子先生のクラスで、そこそこの学力~夏休み明けのテストで何人もいる75位のひとりにもなりました。



わたしたちの時代の東中学校では、朝自習テストというテストがあり、たしか国語では、100問出題の漢字テストをやっていました。



そこでわたしはありあまる知識を発揮して、毎回ほとんど100点満点を連発し、田中先生からサンリオのキャラクターノートのご褒美をいただきました。




しかし!


それが国語の木村文雄先生にとって、“アンチ和繁”の攻撃の的にされることになり、国語の授業で、


「カズシゲは漢字ばかり頭よくて、主語述語とか慣用句とかは答えられない。漢字がスゴイカズシゲだから、“カンジシゲ~”だ!」




とバカにこきまくり、主語述語で答えられないわたしに対し、国語辞典の綴じている部分で殴りかかる、体罰やパワハラ・モラハラを、卒業するまで受け続けていました。




おまけに、生徒会長だった戸松くんや、副会長の福士大くんたち生徒会執行部にも、


わたしが2年生以降所属していた5組の仲間からも、わたしが漢字ばかりできることに妬みやイヤミを言う人が大勢いました。




でも…、いじめるバカ教師だった木村文雄先生でしたが、1度だけ、


「漢字検定っていうのがあるみたいだよ。」




と教えていただいたのですが、ネットのない時代、調べる術はなく、長い間、わたしの“こころの宿題”にしていました。




高校、専門学校を卒業し、社会から隔絶されていたわたしがデイケアに通い、



青森県立精神保健福祉センターをクビにされて移った生協さくら病院デイケアで、勉強をする「寺子屋」というプログラムに出逢い、学ぶ意欲が再燃して、



「今度こそ漢字検定を受けよう!」



という気持ちが湧き、今回の受検という決断になりました!




わたしには更なる夢があり、



青森商業高校を卒業しているのですが、


北斗高校という、定時制・通信制の高校に入り直して、学び直したいというきもちもあります!



いとこの信子が北斗高校を卒業したこともありますが、わたしの人生、人にバカにされたり、いじめられたり、アスペルガー症候群のせいだと、アスペルガー症候群を恨んだこともありました。いじめたやつらを今も恨みながら、赦してやろうと思うこともできました。




人を見返して、鼻を明かしてやりたい!



というハングリー精神と共に、透析患者でアスペルガー症候群でもこんなにがんばれる!という気持ちがあることを見せたいし、



透析患者のみなさんや、アスペルガー症候群で悩んだり、苦しんだりしている人に勇気を与えたい思いもあります!




夢が叶う日も遠くない。母ちゃも信子も、学校時代の先生や友達、透析患者仲間やデイケア仲間、スタッフにも、わたしの夢を伝えて、夢を叶えたいと願っています。




わたしの七夕です!